10月21日の日経新聞オピニオン欄、小竹 洋之・上級論説委員の「これからの学歴の話をしよう ”知の差別”が招く分断」から。
・・・メリトクラシー(実力社会)。この造語を1958年の自著で世に問うたのは、英社会学者のマイケル・ヤングだ。個人の能力や努力に報いるユートピア(理想郷)の象徴とみなす向きも多いが、当時はエリートが全てを支配するディストピア(暗黒郷)の意味を持たせていた。
ヤングには先見の明があったのかもしれない・・・
・・・サンデル氏は学歴の高低を、欧米の最も深刻な分断軸の一つだと断じる。学位取得の競争条件は決して平等とはいえず、貧富の格差などに影響される。そこで高学歴層と低学歴層の固定化が進み「メリトクラシーが世襲のアリストクラシー(貴族社会)と化してしまった」と説く。とりわけ問題視するのは”知の差別”だ・・・
・・・学位の有無が人の一生を左右するのは確かだ。米連邦準備理事会(FRB)によると、米国の2019年の家計所得(税引き前)は中央値で大卒が9万6千ドル、高卒が4万6千ドル。純資産もそれぞれ30万8千ドル、7万4千ドルと無視できない違いが出る。
誰もが平等な条件で競い、実力で勝ち取った結果なら致し方ないが、そもそもスタートラインが同じではない。米ハーバード大学のラジ・チェティ教授らは子供が米名門大学に入れる確率をはじき、上位1%の富裕層には下位20%の貧困層の77倍のチャンスが開けると結論づけた。
これをメリトクラシーと強弁し、知の差別を容認することができるだろうか・・・