10月5日の福島民友新聞に、桜井勝延・前南相馬市長の原発事故直後の証言が載っていました。「避難指示、連絡なかった」。原文をお読み下さい。
・・・翌12日、第1原発1号機の建屋が水素爆発で吹き飛び、政府は原発から半径20キロ圏内に避難指示を出した。「20キロ圏内ってどこまでだ」。テレビで知った桜井や市職員は地図を広げて見当をつけ、避難所などに身を寄せていた20キロ圏内の小高区の住民の再避難を始めた・・・
・・・ 政府は15日、3号機の爆発を受け半径20~30キロ圏内に屋内退避を指示した。避難を本格化させようとしていた矢先に物流が止まった。鹿島区は30キロ圏外だったが、すでに市内全域で市民生活が困難な状況となっていた。桜井は全市での避難を決断し、16日に新潟県への緊急避難計画を策定した・・・
・・・その後、桜井は政府文書を開示請求する。桜井が目にした「20キロ避難指示」の文書には南相馬と書かれておらず「屋内退避指示」の文書に、その文字を見つけた。「いずれにせよ、(政府からは避難の)連絡なんてなかった」。桜井はつぶやいた・・・