9月25日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生が「この7年8カ月の意味」で、安倍政権の世界史的位置づけをしておられました。世界の状況が大きく変わる時期に、総理は何ができるか、何をしなければならないかです。
私は、連載「公共を創る」で、日本社会の激変を背景に、行政が変わらなければならないこと、日本人の意識も社会のしくみも変えなければいけないことを議論しています。佐伯先生の論考は、さらに世界の変化の中で、日本の進むべき道を議論しておられます。ここでは一部を紹介します。ぜひ全文をお読みください。
・・・間違いなく安倍氏は、次々と出現する問題に現実的に対処し、行政府の長として、近年にない指導力を発揮したといってよい。浮気性の世論を相手に、8年近くもそれなりに高い支持率を維持すること自体が驚くべきことである。
にもかかわらず、それが成し遂げたものとは何かと問えば、明瞭な答えはでてこない。すべてが、何か中途半端であり、その成果はというと確定しづらく、評価も難しいのである。いったいどうしたことであろうか。
私には、その理由は、この10年ほどの世界状況と、その中における日本の立場そのものに由来するように思われる。しばしば安倍政権には遺産(レガシー)がないといわれるが、それこそがまさに、今日の時代を映し出している・・・
・・・こう見てくると、戦後から冷戦終結あたりまで、日本の各政権にとっては大きな課題設定が比較的容易であった。その理由は簡単である。戦後日本の国家体制の基軸は、「平和憲法」と「米国による日本の安全保障」とそのもとでの「経済成長」の3点セットだったからである。いわゆる「吉田ドクトリン」である。
それを前提にしつつ、日本の国家的自立を少しでも高めるというのが、岸にせよ佐藤にせよ中曽根にせよ、戦後の日本の政治的課題であった。また、池田のように、その枠組みのもとで経済成長を追求すればよかった。それが可能だったのは、あくまで日本もまた、自由主義陣営のなかで冷戦体制に組み込まれていたからである。これが日本の「戦後体制」である。
だが、世界状況は、冷戦後、まず一つの歴史的屈折点を迎える。冷戦体制の崩壊は、自由主義陣営の勝利を意味し、それは米国流の価値観の世界的拡大を意味していた。グローバリズム、市場中心主義、リベラルな民主主義、といった価値観の世界化である。もちろんその中心に座るのは米国である。
では日本は、冷戦後の世界状況にどのように対処したのか。皮肉なことに、冷戦の勝者であったはずの日本は、バブル崩壊後、長期の経済低迷に陥っていった。そこで、平成日本の課題は、経済再建となり、そこに、グローバリズムと市場中心主義を唱える構造改革が出現する。だがこれはまた、米国流の価値観による日本社会の大変革であり、その最終段階が小泉改革であった。
ところが、この「冷戦後」の時代は、20年ももたずにうまくいかなくなる。2001年のアルカイダによる米国中枢部へのテロは、米国流の世界秩序への攻撃であり、イスラム主義と欧米的価値観の対立であった。08年のリーマン・ショックから09年以降のギリシャ財政危機へ、そしてその後のEU(欧州連合)の危機は、リベラルな民主主義や市場中心主義を決定的に揺さぶるものであった。
さらに、あろうことか、冷戦の敗者であったはずの共産主義の中国が、米国の地位を脅かす大国となったのだ。先進国は軒並み、大規模な金融緩和と財政政策にもかかわらず、低成長にあえぎ、また経済格差の拡大に苦しむ。その結果がトランプ大統領を生み出したのである・・・