歴史の危機、社会の価値観の転換期

8月31日の読売新聞文化欄、佐伯啓思・京大名誉教授の「歴史の危機 安倍政権の限界」から。

・・・いまから100年ほど前、スペインの文明論者であるオルテガは、その時代を「歴史の危機」と呼んだ。従来の価値観がうまく機能せず、新しい価値観はまだ姿を見せない。そのはざまにあって、人々の信念は動揺し、世の中はせわしなく変動する。
オルテガは、100年、200年単位の長い歴史を展望しているが、10年、20年単位の、いわばその「ミニ版」もありうる。

第2次安倍政権以降の7年8か月はまさに、歴史が動揺する時期であった。冷戦終結以降、当然とされた、グローバリズム、IT革命による経済発展、民主主義の政治、アメリカの覇権は、急速に陰りをみせ、問題を生み出している。中国の覇権主義、トランプ米大統領の就任、欧州連合(EU)での右派台頭は、如実にそれを示している。グローバリズムは富の格差や国家間競争をもたらし、IT革命は情報をめぐる世界的な覇権競争を生み、民主主義は往々にして政治を不安定化させ、アメリカの覇権はリーマン・ショック以来、地に落ちた。かくて、従来の価値観は失効しつつあるが、新たな価値観はまだ見えない。世界史の動乱期である。
こんな状態でかじ取りをする政治的指導者はよほどの覚悟と信念がなければならない。民主主義国の指導者が、世界中で民意や国際情勢に翻弄され続けているのも当然であろう。

しかも日本の場合、それに加えて、東日本大震災からの復興、デフレ経済、中国や北朝鮮からの脅威、人口減少や高齢化などがのしかかっていた。気の遠くなるような話である。安倍首相が政権運営を負託されたのはこのような困難の真っただ中であった・・・

拙稿「公共を創る」も、日本社会について、平成時代、令和時代が日本の転換点であることを議論しています。ただし私の議論は、日本の内なる社会が変わったことです。