コロナと猛暑の夏

今日は8月31日。8月が終わります。
今年は、コロナウィルスで、外出を控えた方が多かったでしょう。子どもたちは、短い夏休みで、さらに遊びに連れて行ってもらえない、さみしい夏だったでしょう。
予防薬や治療薬ができるまで、ウイルスは前提として暮らさなければなりません。もっとも、普通の生活をしている分には、うつらないことがわかってきました。唾が要注意のようですね。

そして、猛暑です。東京では35度を越える日が続きました。例年にない暑さだそうです。冷房をかけないと暑くて眠れず、冷房をかけて寝ると身体が冷えます。これも、しんどかったです。皆さんは、どうでしたか。

私は、この暑さがこたえました。福島との往来制限の時期に、被災地に行けなかったので、7月から訪問を再開しています。ところが猛暑の中、現地視察をすると、頭がぼーっとなりました。熱中症や日射病の手前まで、行っていたようです。家に帰って、冷たいシャワーを浴び、ビールを飲んだら、回復しました。簡単な治療で治ります。

まだ、暑さは続いています。プランターのアサガオは、へこたれず、花を咲かせています。朝晩の水やりが、欠かせません。
でも、数か月後には、「今日は寒い」と言っているのでしょうね。福島市は今日のお昼は、21度でした。

戦後の戦争研究

8月22日の読売新聞解説欄、吉田裕・元一橋大学教授へのインタビュー「不条理伝える静かな怒り」の続きです。「太平洋戦争の戦没者

・・・戦後の日本社会は軍と戦争を強く忌避します。歴史学界の場合、戦争体験を持つ若い世代は軍事史研究に携わることは戦争に再び加担することになると敬遠した。こうした風潮は戦争の現実から目をそらす傾向も生みました。
東京裁判も影響したのではないか・・・
・・・死刑になった指導者は、広田弘毅元首相を除くと皆、陸軍軍人でした。
東京裁判は米国主導です。ただ天皇の戦争責任は問わず、責任は主に陸軍に負わせることで日米が水面下で協力した側面もありました。
51年調印のサンフランシスコ講和条約は「東京裁判判決を受諾」と言及しただけで、日本の戦争責任を曖昧にしました。東西冷戦の深刻化と前年に勃発した朝鮮戦争を受けて、米国が日本をアジアの同盟国として重視した結果です。

日本が戦争責任を突きつけられるのは80年代、歴史教科書問題や中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝を巡って中韓両国が猛反発したことが発端です。
政府は90年代、村山首相談話などで侵略の歴史を巡る反省と謝罪を表明しました。安倍政権も村山談話を継承するとしている。
しかし、「反省と謝罪」が国内で広く合意を得ているとは思えません・・・

今週もよく働きました

今週は(先週というのですかね)、25日火曜日に福島勤務、26日水曜日は入間市で研修講師、27日木曜日と28日金曜日は福島現地視察案内、今日30日日曜日は福島で会議でした。
我ながら、よく働きました。8月なのに・・・。

福島復興再生協議会

今日8月30日は、福島市で開かれた福島復興再生協議会に行ってきました。
県の代表と国の責任者たちが一堂に会して、原発事故からの復興の進捗を確認し、今後の課題を議論する場です。大臣たちが福島に出かけて、会議を開くことにしています。NHKニュース

事故から9年半近くが経ちました。放射線量の多寡、避難指示解除の時期によって、復興はばらつきがあります。解除されても住民が戻らない地域、まだ避難指示が解除できない地域。まだまだ問題があります。

復興庁、原災本部(経産省)、環境省、農水省から、わかりやすい資料で、説明しました。会議に出した資料は、週明けには復興庁のホームページに載せます。お使いください。

安倍総理在任中の業績、震災復興

8月28日午後、安倍総理が辞意を表明されました。その記者会見の中で、記者からの2つめの質問が、総理在任中に成し遂げたことについてでした。
答えは、東北復興への取り組みでした。経済や外交安全保障より先に、挙げておられます。

(記者)
先ほど総理は、結果を出すことに全身全霊を挙げてきたとおっしゃいましたが、歴代最長となった在任中に成し遂げたことの中で、御自身、これは政権のレガシーだと思われるものがありましたら、挙げていただけないでしょうか・・・

(総理)
まず、レガシーというお尋ねでございますが、正にこれは国民の皆様が御判断いただけるのかなと、また歴史が判断していくのかなと、こう思いますが、7年8か月前、政権が発足した際には、あのときはまず、東北の復興なくして日本の再生なし、東北の復興に全力を挙げるということを申し上げて、取り組んでまいりました・・・

総理には、ほぼ年に4回、被災地を視察いただきました。また、組閣の度、3.11などの節目に、官邸で全閣僚を集めた会議を開きました。
総理にこのように発言いただけるように、大震災からの復興はある程度進みました。関係者の方に、お礼を申し上げます。
もちろん、原発事故からの復興については、まだまだ残されたことも多く、政府として引き続き責任を果たさなければなりません。