朝日新聞のウエッブ「論座」7月13日配信、花田吉隆・元防衛大学校教授の「テレワークにより気付かされた「接触」と「空間」の本当の意味」から。
・・・テレワークの技術がなかった時代、我々は何でもかんでもオフィスに持ち込み、その中で処理しようとした。人をかき集め、オフィスに入れ、仕事をさせれば何かが生み出される。それが当たり前と考えていた。
テレワークの技術が生まれ、実は、その中にテレワークで代用できるものが多くあることを知った。つまり、何でもかんでも「オフィスの中に詰め込む」必要はなくなっていた。これまでオフィスの中で行っていたデスクワークから、オフィスを拠点に行う外勤の営業まで、テレワークで代替できることを知った。しかし、そのことは、「オフィスの中に詰め込む」ものがなくなったことを意味しない。オフィスの意味は依然失われていない。何が依然「オフィスの中に詰め込まれる」べきものか。つまり、オフィスの役割は何か。オフィスの意味を「洗い直し」オフィスを「純化」する必要がある。換言すれば「接触」の本当の意味は何か。
つい先ごろ、英国でパブが再開された。パブは英国文化と切っても切れない。フランス人がカフェを愛するように英国人はパブに深い郷愁を感じる。人々は、何カ月にも及ぶパブ閉鎖の解禁を待ち焦がれるようにしてパブに押し寄せ、ジョッキを口に運んだ。ここでパブは単なる飲み屋ではない。馴染みが集まり談笑し、ともに笑い悲しみ、意見を戦わせることにこそパブの持つ意味がある。人はそこで自らの存在の認知を得るのだ。パブで談笑しながら、自らの存在を他人に確認してもらう。この側面なしに人間は存在しえない。
フランスで、長く介護施設の面会が禁止された。それが解禁になった時、施設居住の高齢者が面会に来た家族と、アクリル板に顔と顔を擦り付けるようにして再会を喜び涙する映像が流れた。実に、我々は「接触」なしでは生きていけない
・・・こういう人の「感情面」に接触の意味があることは疑いない。もう一つ、重要なのは「知的な面」だ。
人は、集まり「接触」を繰り返しながら、何かを発見し、新たなことに気付いていく。「接触」は「創造性」の発揮になくてはならない場だ。オフィスが持つ意味として、この機能が失われることはあるまい。人は集まり物理的空間を共有することにより、新たなインスピレーションを得る。それが創造性を刺激し新たな製品開発につながる。「実空間」に人が集まることが重要なのだ。今の時代、企業はスタッフの創造性を高め企業を生まれ変わらせてこそ生き残りがある。これまで通りの企業形態でやっていける時代は終わった。この意味の実空間はテレワークでは代替できない。
もしそうだとすればオフィスの「個室」が持つ意味は低下しても、「大部屋」が持つ意味は逆に高まろう。いわば、オフィスの「レセプション会場化」だ。人が、オフィスに集まり、自由に考えを交換し刺激し合う中に新たな創造が生まれる。そういう「知的創造」の場としてのオフィスの意味が今後、再確認されていくのではないか・・・