「箱に人を詰め込む」都市造りからの転換

6月25日の読売新聞文化欄、「箱からの解放へ コロナ後のまちづくり」。建築家の隈研吾さんの発言から。
・・・これまでの都市は、ビルという大きな「箱」の中に人を詰め込んで、効率的に働かせることを目指してきた。18世紀の産業革命などを経て、20世紀のアメリカで完成したモデルで、それは空間だけでなく時間も管理することだった。人々は定時に電車で通い、大きなビルに集まって仕事をする。人を密にすることにより、社会の効率を上げようとしていたのだ。
日本は「大箱スタイル」の優等生と言えるが、今回のコロナ禍でその根本的な見直しが迫られている。「箱からの解放」だ。ルネサンス以降に欧米で発展し、日本も取り入れてきた都市づくりが、折り返し地点にある。
情報通信技術の進歩で箱から抜け出す環境はすでにある。多くの人がテレワークを経験し、いちいち会社に集まらなくても仕事ができることを実感したと思う。私もその一人だ・・・

・・・ホテルのロビーや公園を仕事の場にすることも「箱からの解放」といえる。
宿泊客以外も利用できる共用スペースを広く設けた「ライフスタイル系」と呼ばれるホテルが、欧米で注目されている。地域の人や通りすがりのビジネスパーソンが、ちょっとしたメールや書き仕事をしたり、くつろいだりすることができるのだ。昨年訪れた隅田川近くの倉庫を改装したゲストハウスが、まさにそれだ。
日本の公園は無味乾燥で、使途が限られていることが多いが、公衆無線LAN「Wi―Fi(ワイファイ)」やカフェを整備すれば、様々な職業の人が仕事場を共有する「コワーキングスペース」になり、町の魅力創出にも寄与できる。昨年末に見学した南池袋公園が好例だ。こういう公園がもっと増えればいい・・・

国民の信頼を得る語り方

NHKニュースウエッブに、「コロナ危機、頼れるリーダーの3つのチカラ」(6月25日)が載っています。
・・・移動の自由や経済活動を大きく制限したコロナ危機。未曽有の危機に、待ったなしの対応を迫られた各国のリーダーたちへの評価はさまざまです。しかし、それぞれの国民から高く評価されたリーダーたちには、ある共通点が見えてきました・・・

・・・夜8時半すぎ、ラフなトレーナー姿で公邸から、フェイスブックを使ったライブ配信を行ったニュージーランドのアーダーン首相。
国家非常事態が宣言され、大幅に外出が制限された3月25日。アーダーン首相は、外出制限について寄せられたさまざまな質問に直接答え、不安の払拭に努めました。
新型コロナウイルスの潜伏期間を考えると、厳しい制限を始めても、しばらくは感染者が増え続けることを丁寧に説明したうえで、「感染者が急増してもがっかりしないでほしい。みんながルールを守れば、努力の成果があらわれるはず」と励ましました。
落ち着いたトーンの声で、笑顔で語りかける様子に、安心した国民も多かったのではないかと思います・・・
・・・キリスト教の復活祭、イースターを控えた4月初旬。イースターに欠かせない存在のうさぎや、子どもの抜け歯を硬貨と交換してくれる「歯の妖精」も、外出制限によって活動できないのではないかと心配する子どもたちに向けて、アーダーン首相はこう答えました。
「歯の妖精も、イースターのうさぎも、(活動が認められる)エッセンシャルワーカーです。でも、この状況では、自分たちの家庭のことで忙しいかもしれません。だから、各地を訪れるのは難しいということを理解してあげないといけませんね」・・・

・・・一方、「科学的な根拠に基づいた対策」で評価を高めたのはドイツのメルケル首相です。
このところ、いくつかの地域で局地的な感染の広がりが見られるものの、欧米の中では犠牲者数を低く抑えているドイツ。自身も物理学の博士号をもつ科学者として、メルケル首相はこれまで、さまざまな客観的なデータをもとに、制限措置の導入や緩和を判断し、その根拠も伝えてきました。
例えば、第1弾の制限緩和を発表した4月の記者会見。「制限緩和にはどんな基準が重要なのか」という質問に対し、メルケル首相は、1人の感染者が何人に感染を広げているのかを示す「実効再生産数」を1つの指標としてあげました。
そのうえで、「この数が1.1となった場合は10月、1.2となった場合は7月、1.3となった場合は6月に、医療システムが限界を迎える」と資料に目を落とすこともなく、整然と答えたのです・・・
・・・隣国との行き来が制限された3月に行ったテレビ演説で、メルケル首相はこう語りかけました。
「旅行や移動の自由が苦労の末に勝ち取られた権利だという経験をしてきた私にとって、このような制限は絶対に必要なときでしか正当化されない」
自由が制限されていた旧東ドイツで育った自身の経験から、制限の判断がいかに難しいものだったかを率直に伝えた演説は胸を打つものがありました。
ベルリンに住む女性からは、「メルケル首相には政治的な存在感を高めたいという野心は一切感じられない。カリスマ性はないが、国民を第一に考え、客観的な事実に基づいて、最も良い解決策を模索している」という声も聞かれました・・・

治療。誰を優先するのか、誰を後回しにするのか

6月24日の朝日新聞夕刊、「医療のルール、事前に議論を ベッド不足、誰を優先するか」。児玉聡・京都大准教授のインタビューから。

――目の前に助けを求める人がいるのに、救える命は限られている。難しい選択です。
「限られた医療資源を緊急時にどう配分するかという問題は倫理学の古典的テーマの一つです。船が沈没した際、救命ボートに誰を優先して乗せるか。脳死患者の臓器移植先をどう選ぶか、などが過去にも議論されてきました」
「マスクが不足した問題も一例です。店で先着順に購入するのが通常ですが、この危機下では開店時などに店頭に並べない人にとっては不公平でした。需要が供給を大幅に上回り、供給をすぐに増やせないときには、何らかの配分ルールがなければ混乱が生じます」

――しかし、どの患者を優先的に治療するかという議論は、本人や家族も含めた社会的な合意を得られるものなのでしょうか。
「『誰を優先させるか』は、『誰を後回しにせざるを得ないか』とセットです。社会全体の利益が最大化できると見込めても、実際に優先順位が低くなる具体的な個人に不利益を強いることになる。人々の不安が高まる中で新たなルールをつくろうとすれば、摩擦や反発が起きるでしょう。ただ、日本にもこうした議論の蓄積はあります」
――どんな議論ですか。
「2009年から翌年にかけて流行した新型インフルエンザのワクチン供給ルールをめぐるものです。まずは医療や社会機能を維持する業務の従事者などの予防接種を優先させる。次に、重症者や死亡者を減らすために基礎疾患がある高リスクな人や高齢者を優先するのか、あるいは国や社会の将来を守ることを重視して子どもを優先するのか、が検討されました」
「国や関連学会が最悪の場合も想定した指針を示し、各病院が現場の実情に応じてアレンジできる態勢を早急に整えるべきです。どの国も合意形成に苦労しており正解は一つではないのですが、海外の事例からは多くを学べます。政治家や専門家らが根拠に基づく透明性が高い議論をすれば、市民の協力も得られるはずです」

連載「公共を創る」第46回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第46回「日本は大転換期―家族の変化でコンビニと外食産業が発展」が、発行されました。
身の回りの変化について、昭和後期に比べ、平成時代は物が増えなかった。その中での変化として、前回はスマホやインターネットという情報通信技術を説明しました。

今回はもう一つの変化として、コンビニや飲食店(ファストフード、ファミリーレストラン)を取り上げます。そのほか、宅急便も。
これらがなかった時代を知っている私としては、これらが出てきたときの便利さは、びっくりしました。そして、その恩恵にあずかっています。
これらの業態を大きくしたのは、それを求めている一人暮らしや共働き世帯です。他方で、パートタイム労働者と業務手引書(マニュアル)が支えています。

この連載について、ある大学教授からお褒めの言葉をいただきました。今の学生が、この連載で記述している「近過去の変化」を知らないとおっしゃいます。このホームページでも何度か書いていますが、歴史になったことは学校や本で学びますが、近過去は意外と知らないのですよね。
私も、2002年に東大教養学部に教えに行った際に、学生や院生と話が通じないことから、近過去を教えることの重要性に気がつきました。「近過去・昭和時代」「近過去を知る「平成の100人」