6月13日の朝日新聞オピニオン欄、国際政治学者の・原彬久さんへのインタビュー「安保60年、続く対米依存」から。本筋とは離れますが。
――野党勢力は60年安保から何を学んだのでしょうか。
当時の最大野党は日本社会党です。安保改定を阻止できなかったのに大衆運動が高揚したため、なにか勝利したかのような気分が生じてしまった。その高揚感の残像が災いしました。
社会党が総選挙で取った最大議席は、岸政権下の58年5月の166議席です。岸が60年7月に退陣し、その4カ月後の11月に総選挙がありました。直前に社会党委員長の浅沼稲次郎が暗殺されるというテロがあった。安保の高揚、社会党への同情票への期待など、有利な要素はあったのに、145に議席を減らした。経済重視に転じた自民党に勝てなかった。
非常に象徴的です。60年代の日本は高度成長時代で、労働者は豊かになり、中産階級意識を持つようになります。しかし、社会党は労組頼みの社会主義政党から脱皮できなかった。60年に社会党から分裂した民社党も伸びず、資本主義の枠内での『構造改革』を目指した江田三郎らの動きも行き詰まりました。
――これは単なる昔の話ではありませんね。日本では、なぜ野党が育たないのでしょうか。
野党自体の責任に加えて、国民の意識やメディアにも問題があると思います。我々日本人には依然、『寄らば大樹のかげ』の意識が強いのではないでしょうか。自民党が国民の要望を幅広く吸い上げる包括政党になったため、野党には政権批判だけを期待する。野党を育てて政権を任せようとは考えない。
メディアも政党間の違いばかりを強調する。むしろ違いが大きくないから政権交代が可能なのです。交代することが権力の腐敗を防ぐのです。いつでも政権交代できる相手の存在を認めながら、譲ってなるものかと争うのが、本来の政党政治でしょう。