5月25日の日経新聞経済教室「日本型雇用改革の論点」は、小熊英二・慶応義塾大学教授の「企業越えた人材評価基準を」でした。
・・・新型コロナウイルスの流行で、日本の働き方が問い直されている。リモートワークが進まない、マネジメントが「あうんの呼吸」に頼りすぎていた、採用面接が多すぎるなど、この機会に露呈した問題は数多い。
こうした問題はただ一つの要因から発生している。人材に対する客観的な評価基準がないことだ。それが日本型雇用の根本問題だ。
他国では職種別の熟練度や専門能力の評価基準が、特に1970年代以降に明確化した。そこでは「経営学修士号」や「英語がCEFRでC1」や「営業職としてA社とB社で職歴10年」といった学位や資格や職歴が、その人が就ける職務とその賃金額という形で評価されるのが原則だ。
これが可能なのは、その人が就く職務(ジョブ)が明確化されており、それに対応した学位がはっきりしているからでもある。米国の教育大学院では、学務登録や教育支援、国際教育などはそれぞれ専門課程があったりする。各自がその専門教育を受けて学位をとり、同じ職種で企業を替えながら経験年数を積み、キャリアアップすることになる。
こういう働き方だと、リモートワークは容易だ。一人一人の職務が明確で、責任の所在や分担がはっきりしているからだ。大部屋での共同作業は必要ないし、あうんの呼吸に頼ったマネジメントもいらない。職務ごとに要求される学位や経験年数が明確なら、何回も面接しなくても、書類審査で絞り込みができる・・・
このように職務が明確化している働き方は、日本では「ジョブ型」と呼ばれる。しかし単に職務が明確化しているだけでは足りない。重要なのは、企業を越えて通用する客観的な評価基準が確立されていることだ。・・・
・・・さらに人材評価の基準がない社会では、教育が人的資本を向上させる機能を果たし得ない。今や世界中で大学院の進学率が上がり、大学院に入り直す人も増えたが、それは修士号や博士号がないと高給の職務に就けなくなってきたためだ。
しかし日本は大学院進学率が停滞し、他国と比べ相対的に「低学歴化」しつつある。これは長期的には日本の国力低下につながりかねない。また修士号や博士号が評価対象にならない社会に高度人材が外国からやってくるとは考えにくい・・・