5月11日の日経新聞オピニオン欄、大林 尚・上級論説委員の「個人データ把握は怖くない マイナンバー、安心の利器」から。
・・・公権力による個人データの把握をどこまで認めるかという、日本人が議論を先送りしてきた問題をコロナ禍が浮かび上がらせた。二つ挙げる。
まず、一部でようやく始まった10万円の給付。年金生活者や休業補償がある会社員など、収入の途絶と無縁な人にも配るのは、本当に困っている人の特定に多大な労力と時間を要するからだ。各人の雇用形態や所得を公権力がマイナンバーで把握し、番号からそれぞれの預金口座情報をたぐり寄せられれば、真に助けが必要な人はとっくの昔に現金を手にしていた。
次に、マスクの配布を台湾と比べる。日本は厚生労働省が巨額の公費を使って郵送するアナログ方式。台湾はスマホのアプリで在庫データをネット上の地図に公開し、事実上の配給制によって混乱を鎮めるデジタル方式だ。アナログ方式が膨大な無駄を生んだのは、言わずもがなだ。
公権力による個人データの把握をどう考えるかは、人権のとらえ方にあらわれる。人権を自由権、社会権、参政権に分けると、自由権は「公権力からの自由」、社会権は「公権力による自由」に換言できる。カメラの例にあてはめれば、日々の行動を監視されるのはご免だというのが自由権、犯罪やテロを抑止するためにくまなく見張ってほしいというのが社会権である・・・