小此木政夫・教授、韓国併合

小此木政夫・慶應大学名誉教授、日韓歴史共同研究」の続きです。ウエッブ「論座」「韓国併合は「植民地化」でなく「同化」だった」から。

・・・まず、1910年から1945年まで朝鮮半島が日本によって植民地化されたという、歴史教科書でも定着している表現について、「『植民地化』という表現は決して正確ではない。韓国を『併合』することであり他民族の『同化』でした。だからこそ、日本への反発がずっと続くことになったのです」と語る。

「日本に併合された後に、朝鮮民族が自我(アイデンティティー)を失っていく過程が続くわけです。あれが併合条約でなくて保護条約の段階でとどまっていれば、ずいぶん違っていただろうと思いました。保護条約というのは、外交権を奪って保護国化するわけですから、歴史的に見れば中国が朝鮮に対してやっていたことと変わらない。それを日本が代わってやるようなものだった。東洋的な宗主権でした。

しかし、併合というのは中国さえしたことがない。併合は同化政策だから植民地化政策とは根本的に違います。英国が香港にしたような植民地化ではないのです。香港は99年間の租借でした。例が適当かどうか分かりませんが、日本の戦国時代に尾張の国が美濃との戦に勝って、美濃を丸ごと尾張にしてしまうようなものです。日本人の感覚としては、そうだったのではないでしょうか?」

「同化」を強いたことと、その後の反発は、必然的な結びつきがあるとも言う。
「完全に同化されれば、内地と全く一緒になるわけですから平等が保障されるでしょう。差別などしていないという議論にもなりうるわけです。しかし、同化のプロセス(過程)というのは朝鮮人がアイデンティティーを失う過程です。だから独立すれば、アイデンティティーを回復しなければいけない。そのためには、日本的なものを排斥していくのが当然に必要な作業です。その作業から出発するのです。

それだけで全部を説明することはできませんが、日本的なものがなぜこれほど韓国で排斥されるかというかなりの部分が、アイデンティティーの問題として説明できるのではないでしょうか。だから、韓国人が日本から独立して両国関係を正常化した後になっても、なおかつ現代史を語る時、自分たちのアイデンティティー、自画像を守ろうとするわけです。もちろん、日本人も自らの自画像を語る。その結果、戦後70年の首相談話などの節目節目で、日韓のアイデンティティーが衝突することになるのです」・・・