2月7日の日経新聞経済教室「ドイツは財政出動すべきか(下) 」、森井裕一・東京大学教授の「規律維持への政治合意 堅固」から。
・・・好況が長く続いたドイツ経済にも懸念要素がみられるようになり、国内でも財政出動を求める声が大きくなっている。だが容易には財政規律を巡る考え方は変わりそうにない。ドイツの財政規律問題は単なる経済政策の議論ではなく、背後に堅い政治的コンセンサス(合意)が存在し、制度的にも確立しているためだ。
第2次世界大戦後のドイツは過ちを繰り返さないために、政治の安定とそれを支える経済・通貨の安定を極めて重視してきた。安定した通貨マルクを基盤として経済復興を遂げ、経済大国になった成功体験から、経済運営ではインフレ抑制が最優先課題とされた・・・
・・・だがドイツ統一後の旧東ドイツ地域復興の重い負担で構造改革に後れを取り、フランスとともに自らが求めたSGPの財政規律基準をシュレーダー政権期には順守できなかった。ドイツはこの時期に厳しい労働市場・社会保障改革を断行したが、社会民主党(SPD)は改革の成果を上げられないまま政権を失った。
2005年にキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)とSPDの大連立によりメルケル政権が成立した。前政権の構造改革の果実に加えて、大連立という安定した政権運営基盤を得た。07年には付加価値税率を19%へ3%引き上げ、財政安定に貢献した。08年のリーマン・ショックによる一時的な落ち込みはあったが、メルケル政権期には好況が維持された。
大連立政権初期には、課題だった連邦と州の立法権限関係の整理を中心とした連邦制度改革が実現した。国家財政を中心に第2期連邦制度改革が進められ、09年には関連する基本法(憲法)が改正された。
この改憲で起債の制限が規定された。移行期間を経た後には自然災害や特殊要因を除き、連邦政府には名目国内総生産(GDP)の0.35%までしか「構造的新規起債」が認められないこととなった(図参照)。
重要なのは当時のドイツでは、財政規律を巡る議論が検討委員会内の合意形成から国会両院の3分の2以上の賛成を必要とする改憲まで幅広い政治的コンセンサスに基づき短期間でなされ、世論もさほど注目しなかったという政治状況だ・・・
・・・貿易依存度の高いドイツでは、将来にわたり産業の国際的競争力を維持することが極めて重要との認識がある。そのための投資は必要だが、短期的な雇用政策のための財政拡大には理解が得られにくい。戦後の成功体験やユーロ導入後の経験が制度に埋め込まれ、言説を支配している状況は容易には変わらないだろう・・・