1月29日の日経新聞経済教室、山本龍彦・慶応義塾大学教授の「プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を」から
・・・プラットフォーム間の統合は、競争法(独占禁止法)の観点から様々な議論が交わされているが、市場経済への影響に関する定量的・数理的な評価を超え、社会的公正や民主主義といった非市場的価値への実質的影響にも配慮する必要がある・・・
・・・プラットフォーム上のニュースサイトについても同様である。支配的なサイトが生まれれば、素材を提供するメディアにとっては、同サイト上でいかに表示されるかが死活問題となる。一つのサイトが市場支配的な力を持つことは、メディアの健全性や多様性、ひいては民主主義を危険にさらす。ニュース部門の統合にも、こうした非市場的価値への影響評価が不可欠だ。
公正や民主主義といった社会・政治的価値を競争法の中に読み込むのは、同法の射程を過度に広げるのではないかとの批判もある。重要な指摘だが、例えば欧州の競争法は、もともと公正性、経済的自由、多様性、自己決定、民主主義といった憲法価値の実現を目的の中に含んでおり、こうした社会的側面こそが欧州競争法の特徴といわれる。
米国では1970年代以降、消費者利益と経済的効率性を重視するシカゴ学派の強い影響の下、価格上昇を基準に市場支配力を定量的に評価するテクノクラティックな競争法が主流だった。しかしプラットフォーマーの興隆後、私的経済権力の社会的・政治的支配の統制と民主主義の維持を目的に含んでいた20世紀初頭の競争法を再評価する動きが進んでいる。その指導者たちは、競争法理論の形成に重要な影響を与えたルイス・ブランダイス米最高裁判所裁判官の名を冠して「新ブランダイス学派」とも呼ばれ、注目されている。
こうした動きを見ると、日本でもメガプラットフォームの性格を踏まえ、競争法の目的を原理的に問い直す必要があるはずだ。
例えば、その規模や社会インフラ性から、これを「国家」に類似したものと捉える見解がある。しかし、メガプラットフォームは、時に国家を超越し、国家の権力行使からユーザーの自由を保護する「私的」防波堤として機能する。この点を踏まえるなら、メガプラットフォームは、国家というより、中世封建制の時代に君主から自立しながら特定の「場」を支配し、統治していた荘園に近い。
実際、メガプラットフォームも、私的な存在ながら、「領内」でデータを耕すユーザーに生活基盤を提供する半公共的な性格を有している。今後は「通貨」発行や教育、保険・福祉サービスの提供といった伝統的な国家事業を吸収しながら、公的・基盤的性格をますます強めていくだろう。
このことは、生活の利便性や効率性を飛躍的に高める。しかし、中世の荘園領主が、領内に囲い込んだ者の自由を抑圧する専制権力と化すことがあったのと同様、現代のメガプラットフォームも、自らの半公共的性格を忘れ、ユーザーの自由や公正を害する可能性があることに注意が必要だ・・・
・・・以上のようなメガプラットフォームの特質を踏まえれば、自己決定や公正といった憲法上の諸原理を競争法秩序の中に取り込み、プラットフォームの権力性ないし、一部論者のいうデジタル封建制を適切に統制していくことが必要だ。それにより、一方で現代版荘園の自治性を尊重しながら、他方で複数の荘園間の抑制と均衡(競争状態)を確保してその専制化を抑え、それらに社会的・公共的責任を担わせる「立憲的封建制」を目指すべきである。
そこでは、中世封建制と異なり、ユーザー自身がどの「荘園」に属するかを自由に選択・変更でき、一部サービスについては他の企業が提供するものを利用できるようにするなど、園内を自分なりにカスタマイズできなければならない・・・