12月22日の読売新聞、フランスのアニメ映画監督、ミッシェル・オスロ氏のインタビュー「アニメという仕事。人間の悪と戦う 機知と寛容」から。
・・・無論、それだけでは作品は成り立ちません。万博が開かれた1900年のパリを舞台に選びました。
フランスは1789年の革命以来、幾度か戦争を行い、輝いた瞬間もあったが、自滅に向かいます。決定的だったのは1871年の普仏戦争の大敗です。
ところが再興を果たす。世界の才能が大英帝国のロンドンではなく、パリに集う。なぜでしょう。精神の自由が求心力になったのではないかと私は推察します。報道の自由も重要でした。
パリは女性が社会の幾重もの束縛を解き、活躍した都でもあった。国際女優サラ・ベルナール、ノーベル物理学賞と化学賞を受けるポーランド出身の科学者マリー・キュリー、革命家ルイーズ・ミシェル――・・・