11月10日の日経新聞「ベルリンの壁崩壊30年」、レフ・ワレサ、元ポーランド大統領のインタビューから。ワレサさんは、非共産党系の自主管理労働組合「連帯」を率いてポーランドの民主化を実現しました。
・・・――ポーランドでもポピュリズムが広がっています。30年前の民主化運動の理想との落差もあるのでは
「私は当時、市民が自由を取り戻すまでのことを考え、そのための準備をしていた。何をすればよいか分かっていたし、実際に勝利できた。ただ、当時の私は残りのことは民主主義がやってくれると信じていた。勝利した後、私は休んでいいと考えていた」
「残念ながら、民主主義をしっかりと利用して新しい体制をつくる準備ができていなかった。私は昔の体制を壊すことは非常に得意だったが、あまりにも民主主義を信じすぎていた」
・・・――西側からの支援が足りなかったのですか
「勝利があまりにも大きすぎたのだ。欧州も世界もこの勝利に対して何の準備もしていなかった。欧州と世界は私たちに動く勇気を与えてくれたが、勝利した後は自分たちでやりなさいとなった。そのときのコストが高すぎたため、今のような(ポピュリズムの)動きがあるともいえる」・・・
明治維新も、西郷隆盛を中心に幕藩体制を壊すことに成功しました。問題は、その後です。新しい政体については、事前にさまざまな意見がありましたが、それらの得失について十分議論はされていませんでした。
そりゃそうですわ、まだ現政権が倒れていないのに、次の形を議論する余裕はありません。夢物語と笑われます。
新しい明治政府をつくったのは、一人挙げるとすると大久保利通です。
壊すことも大変ですが、新たにつくることはもっと大変です。家に放火して燃やすことと、新しい家を建てることの違いだと言ったらよいでしょうか。しかも、たくさんの人の意見を聞いて、一つの家を造るのですから。
フランス革命も、よく似ています。あっという間に、アンシャン・レジーム(旧体制)が倒れましたが、新しい体制ができるまでには、恐怖政治、ナポレオンの独裁がありました。
たぶん、1789年7月時点では、誰一人として、ルイ16世が処刑され、ナポレオンが帝政を敷くとは予想しなかったでしょう。
フランスでは、その後も、王政復古、共和制、ナポレオン3世の帝政、また共和制、しかしそれも安定しない。と19世紀を通じて、新しい政治体制をつくることに苦労しました。
参考「冷戦終結後の理想は」