お詫びの乱発?

しばしば、お詫びを聞きます。そのお詫びを聞いて、そこまで謝らなければならないのかと、疑問に思うことがあります。

まずは、電車の遅延です。台風や乗客の救護などによって電車が遅れたことを、車掌さんがお詫びします。でも、これって、電車会社は防ぎようがないですよね。会社も、被害を受けたのです。
自らに責任がない、あるいは会社にとって防ぎようのないことを、お詫びをするのはなぜでしょうか。たぶん、乗客からの苦情を受けて、お詫びしているのでしょう。
でも、逆に「お詫びをしておけばすむ」という意識を育てないでしょうか?
本当にお詫びをして再発防止をすべき場合と、手の打ちようがないことを一緒にすると、危険です。

次は、新聞の遅配です。先日の台風の際に、新聞の配達が遅れたり、翌日になることがありました。この際にも、新聞社と配達店から「遅れて申し訳ありません」というお詫びが入ります。かつて、購読者から苦情が来ることがあったのでしょう。
これは、はっきり言って、間違いだと思います。あの荒天で配達員が配るのは、身の危険もあります。
「荒天なので(従業員の安全も考え)配達をやめます」と言ってよいと思います。
「お客様は神様」ではありません。従業員を大切にしてください。

政府が主導する働き方改革、2

政府が主導する働き方改革」の続きです。

2 社会を変える手法は何か
2つめは、このような働き方や夫婦の役割分担を変える際に、政府はどのような手法を使うかです。いくつか考えられます。
・法律による規制、さらには罰則をつける。
・まず、政府の職員である国家公務員に義務づける。
・従った企業に、税や補助金で優遇する。
・広報で、宣伝でする。

もっとも、このような法律を作るとすると、「その法律によって守ろうとしている法益は何か」という質問が出るでしょう。

昨日、「この国のかたち」と表現しましたが、変えようとしているのは、国民生活の慣習と言ってもよいでしょう。夫婦の役割分担、職場での仕事の仕方(働き方改革はそこにつながります)、休暇の過ごし方・・・。
「どのように生きようが、個人の自由だ」と主張する自由主義者や、「我が家では、夫婦の間で役割分担を決めるのです」と主張する夫婦には、どのように説得しましょうか。

本を読む人、読まない人

10月27日から11月9には、読書週間です。他方で、この時期には、本を読む人が減ったという記事が報道されます。

読売新聞の調査によると、この1か月で本を読んだ人の割合は47%です。2人に1人ですね。この数字は、この20年間、ほぼ変わっていません。
問題は、1995年に比べ、20代から30代の若者が、本を読まなくなったことです。スマホに負けているのでしょうね。

全国大学生協連合会の調査では、1日の読書時間がゼロの大学生は、約5割です。2010年には34%だったそうです。
まあ、驚く数字ではありません。大学が勉強をしたい人が行く場所から、 勉強が嫌いでも親が金を出してくれるので行くレジャーランドになって久しく.。進学率は、6割になっています。日本人全体の傾向と、同じ結果が出るのでしょう。

政府が主導する働き方改革

政府は、男性の国家公務員が育児休業を取得する際に、原則1か月以上とするよう促す方向で検討していると、NHK日経新聞が伝えています。
育休取得率は、女性公務員が99.5%、民間の女性社員社員が82%なのに対し、男性公務員は22%、民間の男性社員が6%です。まだまだ、男女共同参画には遠いです。
政府による、働き方改革の一つです。これに関して、いくつかのことを考えました。

1 この政策を、政府の役割のどこに位置づけるのか。
労働時間の規制なら、労働者保護です。また、公共の場での禁煙は、国民の健康保護でしょう。受動喫煙によって、周囲の人の健康を損ねないようにです。
しかし、 現在進められている働き方改革は、このようなこれまでの政策分野とは少し違います。労働者や国民の健康や暮らしを守っているのではありません。

平成の初めに、週休2日制が導入されました。労働時間短縮なら、目的は労働者の健康保護ですが、必ずしもそこに収まるものではありませんでした。国民に、働き方や休日の取り方を誘導したのです。
育休取得も、国民の健康を守るものではなく、男性の働き方、母親にだけ押しつけている育児を父親もすべきだという、男女共同参画を目指すものでしょう。これまでの、夫は家庭を犠牲にしてでも働く、妻は家庭を守るという、昭和の家庭や職場の形を変えようとするものです。

さて、これは、行政の役割のどこに位置づけるのか。簡単言うと、これまでの霞ヶ関の政策分類にはまらず、既存の担当省庁が見つからないのです。
その場合は、内閣府が所管することになるのでしょう。内閣府は既に、男女共同参画型社会や共生社会政策を担当しています。

政府としては、「この国のかたち」を変えることも重要な役割です。連載「公共を創る」でも、考えています。「この国のかたち」という言葉を安易に使うのは良くないと思うのですが、直ちによい言葉を思い浮かばないので。
この項続く

短くなった秋

今日の福島市は、最高気温が14度、小雨の降る寒い日でした。街ゆく人も、コート姿が目立ちます。私が泊まっているホテルは、暖房が入っています。

もう秋を通り越して、冬ですかね。少なくとも、晩秋の気配です。つい最近まで、半袖で過ごし、冷房をかけていたのに。急に寒くなって、合い物の服装では寒くなりました。
「秋はいつですか」と聞かれれば、多くの人は「9月、10月、11月」と答えるのではないでしょうか。
しかし、最近の9月は暑いですよね。10月は、今年は台風が来て、夏の続きでした。地球温暖化と言われつつ、11月になると、コートや暖房が必要になるのでしょうか。
皆さんも、秋が短くなったと感じておられるのではありませんか。

なぜ、秋が短いと嘆くのか。それは、1年で最も過ごしやすい季節だからです。
服装だけでなく、秋晴れの良い季節。行楽と運動会の季節、そして果物の季節と思っています。
それなのに、実質1か月少しだとすると、困りものです。

そんなことを考えていたら、10月19日の朝日新聞オピニオン欄が、「秋、短くなった?」を取り上げていました。