病院での悩みを聞く宗教者

8月15日の日経新聞夕刊、「患者の苦悩、向き合うケア 「生きる意味は」「死ぬのが怖い」 医療・福祉の現場、宗教者ら常駐」から。

・・・欧米の病院や福祉施設では宗教者らが常駐し、患者や家族に寄り添って心の問題をケアする。病院に宗教者が入るのを忌避する傾向があった日本でも多死社会を迎え、こうした「スピリチュアルケア」が広がってきた。スピリチュアルケア師や臨床宗教師の育成が進み患者や家族を支えている・・・

・・・人は重病など危機に直面すると「生きる意味はどこにあるのか」「なぜこんな目にあうのか」というスピリチュアルペインに見舞われる。大嶋健三郎院長は「患者の悩みに医療者だけでは立ち向かえない。死生観や宗教観がしっかりした人材が必要」と話す。
病院には僧侶3人が常駐し、患者の散歩や食事に付き合いながら話をする。通常は僧衣を着用せず、僧侶から宗教の話をすることはない。その一人、花岡尚樹・ビハーラ室長は「患者のそばにいて会話や傾聴を通して支えるのがケア。その中で『死ぬのが怖い』などの言葉が出たときに宗教者として受け止める」と話す。毎夕、院内のホールで僧侶が念仏を唱え法話をする。患者も家族も自由参加で、布教はしない・・・

科学や医学の発達で、病気や死について、科学的知識が増えました。しかし、病気や死の仕組みを理解できても、「なぜ私がそうなるのか」とか「死んだらどうなるのか」など心の悩みは減りません。それは本人だけでなく、家族や親しい人にとっても同じです。
かつては、人生の苦しみを引き受けたのは、宗教でした。科学の発達で、宗教を信仰する人は減りましたが、科学とは別の次元で、科学を超えた人の悩みを引き受ける役割はあると思います。
東日本大震災で犠牲者を仮埋葬する際に、読経を求められたこと、そしてそれが遺族にとって大きな意味をもつことは、拙著『復興が日本を変える』などにも書きました。