「標準型家族観」からの転換

5月28日の日経新聞経済教室、白波瀬佐和子・東京大学教授の「人口減少社会の未来図 「包摂型」へ格差に積極介入を」から。
・・・人口減少の重要な要因の一つに少子化がある。少子化とは、人口置換水準(人口の国際移動がないと仮定し、一定の死亡率の下で現在の人口規模を維持するための合計特殊出生率の水準)に満たない状況が継続することをいう。その背景には60年代の成功体験を支える家族・ジェンダー(性差)を巡る考え方がある。
79年に自民党政務調査会が提案した「家庭基盤の充実」は、男性1人稼ぎ手モデルに代表される固定的な性別役割分業体制を前提としていた。しかし今では、非正規雇用率が高まり、若年市場の悪化が進んで、家族を形成する時期が遅れているうえ、自らの家族を形成しない者も増えた。
初婚の平均年齢は60年には男性27.2歳、女性24.4歳だったが、17年にはそれぞれ31.1歳、29.4歳となった。50歳時の未婚率は、60年には男性1.3%、女性1.9%だったが、15年にはそれぞれ23.4%、14.1%と大幅に上昇した・・・

・・・日本は今なお、伝統的ジェンダー体制を基に標準型家族を前提とする社会保障制度の下で、医療、所得、雇用、福祉など社会的リスクへの制度設計は縦割りで、人々の様々な生活リスクの第一義的対応機能を家族が担う場合が多い。しかしながら現実には、病気の子や要介護の親を抱えながら、あるいは自身が何らかの障がいをもって働くことも、決して例外的なことではない。
医療や所得保障、雇用や教育の制度設計にあたり、リスクが重なり合う場面を想定せねばならない。そこでわれわれが目指すべき社会モデルの一つが包摂型の未来だ。その理由は、これまで単線的、かつ縦割り的な制度設計の中で、十分に才能を開花させる場面に恵まれなかった人々の状況を修正することにある。負の遺産を解消すべく斬新な発想を社会実現につなげ、承認・支援の環境を積極的に構築する必要がある。そこにこそ日本の未来がある・・・

・・・ここでのポイントは、評価軸が一つでないので善しあしの基準が一元的でないこと、複数の軸が単純な上下関係にないことにある。
日本がかつて同質社会と特徴づけられた背景には、この評価軸が一定で、物事の善しあしの判断が単一基準によりなされてきたことがある。しかしながら超高齢社会の日本が手本にすべき既存モデルがない中で、直面するリスクをチャンスに変えるにはまず価値のパラダイムシフト(枠組み転換)が必要となる。既存の評価軸だけでは不十分だ。
もう一つは、世の中を変えるため、既に存在する格差に能動的に介入することだ。そこでの介入を一時的に終わらせないためには一定のスケールが必要で、世の中を動かす起動力となるまで高めねばならない・・・

ブダペストでの観光船沈没

5月29日の夜、ハンガリーの首都ブダペストを流れるドナウ川で観光船が衝突して1隻が沈没し、8人が死亡、19人が行方不明になっているとのことです。「NHKニュース」。早い救出を祈っています。

ちょうど2週間前の夜、私達夫婦も、ここで観光船に乗って、ブダペストの夜景を楽しみました。このニュースを見て、びっくりしました。
ちなみに、船上はコートを着ても寒かったです。ライトアップされた夜景は、きれいでした。

局長が政策を語る

農林水産省の枝元真徹・生産局長が出ている、政策紹介ビデオを教えてもらいました。
日本の農業をもっと強く
農水省では、政策説明は、説明会だけではなかなか農業者に届かないので、大きな政策はビデオで流すことをやっているとのことです。良いことですよね。ビデオで見るには、ちょっと難しいかな。

官僚は政策で勝負すべきだと、私は主張しています。例えば、2018年5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」。このホームページでも、藤井直樹・国土交通省自動車局長(当時)の論文を紹介したことがあります。
世の中の課題を把握し、対策を考え、世の中に問う。そして、国民に説明する。それが、局長の務めでしょう。
もちろん、大臣が先頭に立つべきですが、政策の大小によって、また説明の濃淡によって、局長ももっと前に出るべきです。

長寿によってそぐわなくなる既存制度と意識

5月23日の朝日新聞1面に「人生100年、蓄えは万全? 「資産寿命」、国が世代別に指針 細る年金、自助促す」という記事が載っていました。

・・・人生100年時代に向け、長い老後を暮らせる蓄えにあたる「資産寿命」をどう延ばすか。この問題について、金融庁が22日、初の指針案をまとめた。働き盛りの現役期、定年退職前後、高齢期の三つの時期ごとに、資産寿命の延ばし方の心構えを指摘。政府が年金など公助の限界を認め、国民の「自助」を呼びかける内容になっている・・・
金融庁の指針案は、金融審議会の資料「高齢社会における資産形成・管理」という報告書案のようです。

・・・平均寿命が延びる一方、少子化や非正規雇用の増加で、政府は年金支給額の維持が難しくなり、会社は退職金額を維持することが難しい。老後の生活費について、「かつてのモデルは成り立たなくなってきている」と報告書案は指摘。国民には自助を呼びかけ、金融機関に対しても、国民のニーズに合うような金融サービス提供を求めている。
報告書案によると、年金だけが収入の無職高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)だと、家計収支は平均で月約5万円の赤字。蓄えを取り崩しながら20~30年生きるとすれば、現状でも1300万~2千万円が必要になる。長寿化で、こうした蓄えはもっと多く必要になる・・・

長寿は良いことなのですが、これまで私たちが想定していた「人生モデル」が成り立たなくなっています。

科学者の社会的責任2

科学者の社会的責任」の続きです。藤垣 裕子 著『科学者の社会的責任 』には、次のような記述もあります。

・・・まだ科学者にとっても解明途中で長期影響が予測できない部分を含んだままで、科学にもとづいた何らかの公共的な意思決定を行わねばならない場合に遭遇する・・・
・・・予防原則とは、「環境や人の健康に重大で不可逆な悪影響が生じる恐れがある場合には、その科学的証拠が不十分であっても対策を延期すべきではない、もしくは対策をとるべきである、とするリスク管理の原則」であり、事前警戒原則とも言われる・・・事例としてイタイイタイ病と薬害エイズ事件が取り上げられています。(P39、不確実性下の責任)

公共的意思決定を行うとき、科学者の助言は、一つに定まるべきか、幅があるのが当然だろうかという問題があります。原発事故が事例として取り上げられています。行動指針となる一つの統一的見解を出すのが科学者の責任なのか、幅のある助言をしてあとは市民に選択してもらうのかです。(P47、ユニークボイス(シングルボイス)をめぐって)

議論が組織や制度の壁で固定され、壁を越えた議論が成り立っていないことも、指摘されています。
・・・ところが日本では、市民運動論は環境社会学で、社会構成主義は主にフェミニズム研究で、科学と民主主義は科学技術社会論(STS)でというように、もともとはつながっている潮流が別々の研究領域に分断されている・・・
・・・これまでの日本の社会的責任論は、組織や制度を固定してそこに責任を配分するため、組織を攻撃することが主となってしまい、組織外の人々は他人事ですまされた。「Aという組織がXをしたから、けしからん」で終わってしまうことが多かった・・・(P70)

かつて、手塚洋輔著『戦後行政の構造とディレンマ-予防接種行政の変遷』(2010年、藤原書店)を紹介したことがあります。
予防接種をした場合に、一定の「副作用」が避けられません。しかし、伝染病が 広がっているのに予防接種を行わないと、さらに伝染病が広がります。他方、副作用があるのに予防接種を強行すると、副作用被害が出ます。あちらを立てればこちらが立たない、ジレンマにあるのです。
戦後の早い時期は、副作用を考えずに、予防接種を強制しました。その後、副作用被害が社会問題になると、救済制度をつくりました。そして、現在では、本人 や保護者の同意を得る、任意の接種に変わっています。手塚さんは、ここに行政の責任範囲の縮小、行政の責任回避を見ます。行政と科学者との関係(責任の所在)も、重要な問題です。