2月10日の日経新聞に、「亡き母と同じ教員に 支援施設巣立つ学生」が載っていました。
政府の調べでは、震災遺児は1548人、孤児は243人もいます。この子供たちを、支援しなければなりません。国や自治体の制度もありますが、限界もあります。
この記事にも載っているように、あしなが育英会が、レインボーハウスを運営してくださっています。「お兄さん」「お姉さん」役のボランティアが、遺児たちに寄り添って話を聞くのです。ありがとうございます。
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2019年3月11日
今日は3月11日。あの日から、8年が経ちました。各地で追悼・祈念行事が行われ、マスコミも大きく報道しています。NHK
復興の進捗状況と、まだ取り組まなければならない課題については、それらを見ていただくとして。
被災者の方にとっては、特に避難されている方にとっては、長い8年だったと思います。復興関係者に聞くと、「8年はあっという間だった」という方が多いです。私もそうです。
津波被災地では、膨大ながれきを見て、「いつになったら片付くのだろう」と市町村長たちと途方に暮れました。原発被災地は、「長い期間、人は住めないのだろう」と想像しました。それが、8年でここまで来ました。たぶん、多くの関係者にとって、これは予想より早い事態だと思います。
しかし、復興が進むと、新たな課題が見えてきます。新しい課題は、これまでの対応で解決できる課題と、それでは解決できないであろう課題が含まれています。
今日も、国会議員を案内して、原発被災地を見てきました。特に、帰還困難区域を見てもらいました。
マスコミが大きく報道してくれることは、国民にあの大震災を思い出してもらい、今後の災害に備えてもらう良い手法です。行政による広報よりはるかに、効果があります。
また、復興に携わっている関係者や、私たちにとっても、ありがたいことです。一日も早く復興できるように、さらに頑張ります。
復興の主役 官から民へ
3月10日の日経新聞1面に「復興の主役 官から民へ」が載っていました。
・・・東日本大震災の発生から11日で8年を迎える。原発事故の影響はなお色濃く残るが、巨額の政府予算の投入で被災地のインフラ整備や住宅再建は一定のメドが付いた。ただ、沿岸部では定住人口の減少が止まらず、「官製復興」には限界がみえる。成長のエンジンを民主導に切り替えるには地域の底力が試される・・・
指摘の通りです。インフラの復旧だけでは、町の賑わいは戻らない。その考えで、今回の復興では、産業と生業の再開、コミュニティの再建も、政府として取り組んできました。「復興の3要素」
しかし、この2つの分野は、お金や法律でできるものではありません。産業と生業の主体は事業主です。コミュニティの主役は住民です。
民が主体になってもらわないと、できません。もちろん、政府はそれを支援します。
よんなな会
今日3月10日は、よんなな会に呼ばれて、短い講演に行ってきました。この会は、47都道府県の地方公務員と、中央省庁で働く官僚をつなげるものだそうです。
今日は、400人の参加者と100人のスタッフで、合計500人という大人数でした。北海道から沖縄まで全県、そして全府省から参加したとのこと。
私の講演の他、米田恵美・Jリーグ理事のお話しと、入江慎也さん(吉本興業、カラテカ)の話がありました。入江さんの話は、明るい公務員の勧めでした。私の主張と重なりますが、さすがにプロの芸人さんは上手ですね。
その間に、17人の公務員による、「自己宣伝・同士募集」が入ります。講演のあと、お酒や食べ物を持ち寄って、交流会が開かれます。そこで、お互いに同好の士を募るのです。それは仕事の悩みであったり、部活動であったりします。これは良くできた企画です。
いや~、後輩たちのエネルギーと、企画のうまさに、びっくりしました。これだけもの公務員が、意欲を持って社会を変えようと参加しているのです。
20~30年ほど前にも、地方公務員の勉強会や集まりが活発になった時期があります。「分権を支える受け皿として力をつけよう」という趣旨でした。それはどちらかといえば、研究的勉強でした。
今回の集まりは、それにとどまらず、いろんな分野、いろんな課題に取り組もうとしています。また、インターネットが発達して、お互いの意見交換なども便利になりました。これを活用しない手はありません。
紹介した「自己宣伝・同士募集」も、スクリーンに概要が映されるとともに、そこに二次元コードがついています。「より詳しくは、こちらを見てください」ということです。
私への依頼は、明日8年を迎える東日本大震災の経験を話すことと、後輩たちへのメッセージでした。応援の気持ちを込めて、お話ししてきました。「写真」
平成は政治と行政の改革の時代
3月2日の日経新聞連載「平成の30年」は、「二大政党 なお道半ば」でした。野田佳彦・前首相と砂原庸介・神戸大学教授がでておられます。
坂本英二記者の解説から。
・・・選挙制度改革、政党助成金、中央省庁再編、内閣人事局――。平成の時代は膨大な政治エネルギーを消費して、重要な制度改革がいくつも行われた。しかし「政権交代が可能な二大政党制」や「首相官邸の大幅な機能強化」も一つの手段にすぎない。本当の目標は各党が国家的な課題への処方箋を競い合い、重要な政策を迅速に実行していくことだったはずだ。
平成の初めにバブル経済が崩壊し、少子高齢化時代の到来によって財政が加速度的に悪化する兆しが見えていた。東西冷戦の終結は、日本に国際貢献のあり方を含めた安全保障政策の見直しを迫った。「政官業のトライアングル」といわれた既得権益型の社会構造を大きく変えるには、二大政党による競い合いが不可欠だと思われた。その方向は間違ってはいなかった・・・
日本の政治行政から見ると、平成の30年は改革の時代でした。さて、それがどの程度目的を達したか。どの程度成功したか。何が残ったか。
次の時代に進むためにも、この評価が重要です。