平成時代の変化。売り手が強い時代から、買い手が強い時代に

3月17日の朝日新聞「平成経済」、鈴木敏文・元セブン&アイHD会長のインタビュー「買い手が強い時代、価格より質」から。

・・・平成は経済が沈滞した時代だとよく言われます。しかし、これは平成に始まった話ではなく、昭和の終わりから続いてきたと考えるべきだと思います。戦後の経済成長で社会が豊かになると、消費者はあわてて物を買わなくてもいい時代になりました。売り手が強い時代から、買い手が強い時代に変わったのです。
戦後、米国の「チェーンストア理論」が日本の流通業界を席巻しました。小売企業は大量に商品を仕入れ、他社より安い価格で売るのが勝負で、商品を店頭に山のように積んでおけば買ってもらえるという発想です。ところが、次第にこれでは売れなくなり、流通業界の中でも販売が堅調だったイトーヨーカ堂ですら、1982年度に初めて経常利益が減益になりました・・・

次のような発言も。
・・・常識を打ち破る発想が必要なのです。経営者が自分で考え抜いて決めるべきです。新規事業を始める際、コンサルタント会社に調査を依頼する企業がありますが、感心しません。コンサルは過去のデータに基づいて助言をしますから、物まねになってしまいます。最近、ビッグデータを使った経営が流行していますが、私は、大きな間違いを起こすと思います。過去のデータを使っても、次の時代の流れは読めません・・・

統計に表れない人的資本の価値

3月15日の日経新聞経済教室は、前田佐恵子・日本経済研究センター主任研究員の「人材教育の充実、成長のカギ」でした。

・・・停滞をどうすれば打破できるのか。本予測では「改革シナリオ」も描いた。労働力を質と量の側面から高め、供給制約を取り払う必要がある。
労働の質の面では、日本企業は人材教育の劣化が目立ち、00年代に人件費の削減とともに教育訓練費も削ってきた。1980年代は雇用者報酬の0.4%程度を教育訓練費に充てていたが、16年では0.2%と半減している。
職業教育などの人的投資を増やし、労働の質が向上すると、生産性を高める効果が期待できる。
機械や設備などの有形固定資産に対し、生産の付加価値を高める情報やブランド、人材などの価値は無形資産と呼ばれる。ソフトウエアや研究開発費など生産資産として統計に表れるものもあるが、人材に蓄えられた技能を含む人的資本は計上されていない・・・

そうなんですよね。人的資本(能力)は、統計に出てこないのです。話を広げると、社会の質も、数字化されていません。汚職のない社会は、経済発展に不可欠です。また、治安の良い、つながりの強い社会は、暮らしやすいです。道路や鉄道の延長距離より、はるかに重要です。GDPや国富は、経済的価値、それも数値化できるものしか計上されません。ここに統計や経済学の限界があります。

・・・経済産業研究所が公表している日本の無形資産に関する推計では、企業の人的資本への投資などにあたる「経済的競争力投資」が示されている。各国の同様の推計値と比較すると、日本は経済規模に対し著しく低いことが分かる・・・
として、「経済的競争力投資の各国比較」が図として載っています。う~ん、「日本は人を大事にする国」ではありませんね。

ダルタニャンの生涯

書評で見かけて、佐藤賢一著『ダルタニャンの生涯 史実の『三銃士』』(2002年、岩波新書)を読みました。
アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』は、子供の頃(児童書)で読みました。わくわくしましたよね。ところが、佐藤さんの本を読んでいただくとわかるのですが、ダルタニャンは実在の人物なのです。もちろん、小説は実物を基にしつつ、脚色してあるようです。さらに、デュマの小説には種本があって、その「ダルタニャン氏の覚え書」は本人の回想録の形を取った創作なのです。ややこしい。

ガスコーニュ地方(フランス南西部のピレネ近く)出身の若者が、郷土の先輩を頼って、パリに登り、王の親衛隊として出世します。
まさに、「出仕、陰謀、栄達、確執・・・小説よりも奇なる、人生という冒険に挑んだ男の足跡」が生き生きと描かれています。私生活もわかるのです。
ルイ14世の時代、金とコネで官職が手に入ります。当時の社会もわかります。

ところで、佐藤さんがこれを執筆されたには、元になった本や資料があると思うのですが。本書は、それについては一切触れていません。新書という体裁だからでしょうか。「直木賞作家初のノンフィクション」とあるのですが、この本も「史実」と名乗りながら、創作なのではないかと、疑ってしまいます。それも、佐藤さんの計算なのかもしれません(苦笑、失礼)。

GDPで測れない豊かさ

2月27日の日経新聞1面連載「進化する経済」は「LINEの利用価値300万円? GDPに表れぬ豊かさ」でした。
無料でメッセージのやりとりを提供するLINE。1200人に聞いたところ、1人当たり300万円になったそうです。でも、このサービスは、GDPには反映されません。
スマートフォンの普及で、写真の枚数は、15年間で20倍になったそうです。それも、現像に出さなくても見ることができ、知人と直ちに共有できます。他方で、カメラの売れ行きは落ち、町の写真屋さんは商売あがったりです。その分のGDPは、減少しています。
1800年以降に、照明の価格は3倍になりましたが、明るさと品質を考慮すると千分の1に値下がりしたのだそうです。たき火から電灯になると、こうなるのです。

・・・「GDPは豊かさではなく、モノの生産量の指標にすぎない」。米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は「各国はGDPにこだわり、08年のリーマン危機後に誤った政策を選択した」と断じる。国力を測る取り組みは17世紀の英国で始まり、戦争遂行能力を調べるために発展した。GDPはかねて専業主婦の家事労働が計上されない欠点などを指摘されるように、値段のない豊かさをとらえることは不得手だ・・・
・・・無料サービスという豊かさを提供する米グーグルなど巨大デジタル企業は、世界中の利用者から対価として個人情報を吸い上げる。政府や中央銀行はモノの豊かさをGDPなどの統計で測り、政策を決める根拠としてきた。だが目に見えない豊かさがGDPの外側に広がる。経済の実像をどうとらえ直すかで、豊かさの形も変わってくる・・・

幸せが金額や数値で表せないことは、良く指摘されます。しかし、豊かさが、数字で捉えられなくなっているのです。
私が講演などで使っている、豊かさを示すための「経済成長の軌跡」も再考しなければなりません。

復興住宅での介助・共助

日経新聞が、「復興の実像」を連載しています。3月16日は「東北3県、復興住宅の高齢化率42.9% 介助・共助、需要高まる」でした。

住宅が再建されただけでは、暮らしは戻りません。孤立を防ぐために、つながりを取り戻さなければならないのです。
集会所などを作りましたが、それで、つながりが戻ったり、できたりするものではないのです。催し物をしても、参加してもらえないと、効果がありません。

生活支援員の助けを借りて、見回りをしてもらっています。
このような「支援」は、被災地で顕著になりました。しかし、被災地に限らず、多くの地域、特に都会の集合住宅で必要です。