インスタントラーメン、イノベーションの時代

3月26日の朝日新聞オピニオン欄「すぐおいしい即席麺60年」、西口敏宏・武蔵大学客員教授の発言から。

・・・インスタントラーメンは、大成功したイノベーションの一つです。即席麺を作る加工技術の発明よりも「安くて簡単ですぐ食べられる」という、それまで気づかれていなかった広大なマーケットを開発した意味が大きいと思います。世界への広がりやその速さは、生み出した安藤百福さんが思っていた以上だったのではないでしょうか。
日本でこのようなイノベーションが出てきたのは、戦後すぐから1960年代初めにかけてです。軍国主義や全体主義で押さえつけられてきた様々な能力が、産業だけでなく、文芸や映画などの芸術でも一気に花開いた時期です。国内外で市場が急拡大していたので、発明がニーズに合えば、ものすごくもうかる時代でもありました。
日本発では、インスタントラーメンのほか、トヨタ生産方式があります。参加者の意欲を引き出して作業を絶えず見直す「カイゼン」は、今も自動車産業だけでなく、サービス業や、特に英米圏での政府の仕事の仕方にも影響を与え、人類の歴史に残る貢献をしていると思います。

日本は長く欧米を追う立場でした。実際に見たり、触れたりできる具体的な課題を解決する能力にたけているため、特に製造業で追うことに向いていました。80年代後半から90年代に追いつき追い越そうというときに、満足してしまいました。目標を見失ったと言うべきかも知れません。生き残るためには「追いつき型」から脱皮し、ビジネスの仕方を根源的に変えなければならなかったのです。
逆に製造業が衰退していったアメリカは、90年代後半から一人勝ちです。起業家が新しい世界の諸資源のつなげ方、使い方を発見しようとITに向かい、イノベーションが束のように出てきました。グーグルやアップルなど、インターネットを使ったビジネスで、今や基幹産業です・・・

『明るい公務員講座 管理職のオキテ』

『明るい公務員講座 管理職のオキテ』(2019年、時事通信社)
時事通信社アマゾン紀伊國屋ジュンク堂

『明るい公務員講座 管理職のオキテ』が出版されました。『明るい公務員講座』『明るい公務員講座 仕事の達人編』に続く第3巻です。第3巻は、管理職の入門編です。

本屋に行くと、たくさんのリーダー論が並んでいます。私も、36年前に課長職になって、いろいろ本を読んで勉強しました。しかし、すぐに役に立つ教科書は、見つけることができませんでした。歴史上のリーダーや事業で革命を起こす経営者と、私たち管理職とは、仕事の内容が違うのです。他方で、良い職員が良い課長になるとは限りません。職員の延長に、課長職があるのではありません。

今回も、書いたことは、経験者たちは知っていることばかりです。それを後輩たちに、文字で上手に伝えることが、できていなかったのです。
端的に言うと、多くの本には、きれい事ばかり書かれています。「良い職員になりましょう」と。でも、職員みんなが、優秀ではありません。例えば、問題職員をどうするかは、書いていないのです。多くの管理職は、それで悩んでいます。それを、思い出しながら、「不都合な真実」も書きました。

今回、本にまとめるに当たっても、独りよがりにならないように、そして間違いがないか、原稿を現役の管理職にも読んでもらって、意見を聞きました。
また、各章に1本ずつコラムを入れました。本文に入れるにはやや据わりが悪い「面白い話」を、コラムとしたのです。笑いながら読んでください。

書評1書評2 補足

目次
第1章 課長に脱皮する
第1講 選手と監督の違い 第2講 いつもニコニコ明るい上司 第3講 課長は接客業 コラム1 接客のプロに学ぶ

第2章 事務の管理─はかどる仕事術
第4講 指示の出し方 第5講 進行状況の確認 第6講 添削する コラム2 悪魔の代理人

第3章 職員の指導─褒めて育てる
第7講 あなたはコーチ 第8講 褒めて育てる コラム3 精神の体力 第9講 意欲を持たせる 第10講 人事評価から逃げるな

第4章 職場の管理─困ったことも起きる
第11講 内部統制 第12講 情報の取り扱い 第13講 問題職員への対応 第14講 職場慣行の変化 コラム4 男たちのムラ社会の終わり

第5章 組織を動かす
第15講 あなたは船長 第16講 課長が決める コラム5 総理大臣秘書官の答弁作成術 第17講 あなたは課長一年生
本書のまとめ

大熊町の避難指示一部解除

原発事故被災地の大熊町で、避難指示が一部解除されることになりました。
避難指示が出た市町村では、放射線量の低下、除染、生活環境の再開によって、順次避難指示が解除されています。全町避難が続いているのは、原発に最も近い双葉町と大熊町です。そのうち、大熊町の一部で、避難指示が解除されます。

町の中心部は放射線量が高く、今回解除するのは、そこから外れた地域です。町長が、町の中心部は放射線量が低下し復興するには時間がかかると判断され、早い段階で大川原地区での復興を先行することを決断されました。そこで、田んぼであった地域に、町役場や住宅をつくることにしました。役場や住宅も、ほぼ完成しています。来月には、役場も開所します。
現在は、約100キロ離れた、会津若松市に避難しているのです。
8年前を思い出すと、こんなに早く一部解除ができるとは、思いもできませんでした。

もっとも、今回の避難指示解除は、ごく一部地域でしかありません。町の中心部の復興には、まだ時間がかかります。また、意向調査では、住民の6割が「戻らない」と答えています。
お隣の双葉町は、まだ全町避難が続いています。来年の今頃には、JR常磐線が開通します。それに合わせて、双葉駅を再開させ、駅前の道路も開通させる予定です。そして、その周辺を復興させる計画です。
放射線の残る地域では、一気に復興とはいかず、順次の進捗になります。

ボストン市民社会の文化人類学2

ボストン市民社会の文化人類学」(渡辺靖著『アフター・アメリカ』)の続きです。P239以下に、「居場所の喪失」が書かれています。

ボストン・ブラーミンとボストン・アイリッシュという2つの集団。彼らの生活を支えていた「居場所」の感覚が、戦後急速に希薄になります。
ブラーミンは、経済的社会的特権地位を低下させることによって。アイリッシュの方は、経済的社会的に上昇することによってです。かつての区切られた地域から出て、他の地域に住むことや、他の社会集団と結婚することが、それを加速します。
それぞれの集団の中で助け合い、他方で他の集団とは交わらずに暮らしていた人たちや家族が、個人主義が進むことで、その結束が崩れていくのです。
「日本は欧米に比べて家族主義(家族の束縛)が強く、個人主義が育っていない」という主張がありますが、個人主義と思われるアメリカでも、結構そうではないのです。

とはいえ、人間は一人で、無色透明な空間に生きているのではないことを、再認識します。

大震災から引き継ぐもの

今年も3.11の前後は、様々な行事や報道がされました。
ある記者によると「去年より多かったのではないですか」とのこと。指摘されると、そのような気もします。
8年という区切りに、例年と違う要素はないのでしょうが。一つには、平成という時代がまもなく終わることについて、平成を振り返る企画が多いことも、関係しているのかもしれません。

さて、復興状況は紹介したので、少し長い視野で考えてみます。
この大震災の経験から、後世に引き継ぐものは何か。次の3つがあると思います。

1 大震災へ対応する「機能」
阪神・淡路大震災では、政府の初動対応のまずさが、批判されました。その経験から、官邸の危機管理体制、自衛隊をはじめとする緊急出動などが強化されました。東日本大震災では、その訓練が生かされました。
そして今回は、広域の支援、プッシュ型の支援などのほか、借り上げ仮設住宅の活用、全国に避難した人たちへの支援、孤立防止、新しいまちづくり、産業再開支援など、これまでにない暮らしの再建に向けた対応が取られました。NPOや企業による支援もです。
この「機能」を、次の災害に活用するべきです。すでに、熊本地震などでは、活用されています。

2 防災・減災「意識」
国民の防災、減災意識も、重要です。
まずは、逃げる。防潮堤は、すべての津波を防いでくれるわけではありません。
どこに逃げるか、事前考え、訓練しておくこと。数日は生き延びることができるように、生活物資を備蓄しておくことです。
我が身は、自分で守らなければなりません。
この意識を、伝えなければなりません。

3 大震災の「記憶」
災害遺構や、アーカイブ、書物などによって、この災害を語り継いでいかなければなりません。
この地域は、かつて大きな津波災害に遭っています。しかし、時代が経つとともに、忘れ去られていたのです。

災害遺構を残し、この災害を後世に語り継ぐことも重要ですが、私は、上の1と2が重要だと考えています。