経済同友会の復興シンポジウム

今日は、経済同友会の「復興シンポジウム」に出席するため、仙台に行ってきました。第1部は、沿岸地区における産業復興。第2部は、福島のインフラとなりわいの再構築がテーマです。

私は、第3部「大震災の経験から導く防災に関する示唆」の司会を務めました。尾崎・高知県知事が南海トラフへの備えについて、池田・都城市長が後方支援の準備について、内容の濃い説明をしてくださいました。
引き続き、総括スピーチもしました。大震災から学んだことです。平成の30年は、大災害外が続いた時代でもありました。その度に、学び、対策を充実してきました。政府だけでなく、企業、NPO、国民もです。それを整理して、説明しました。

経済同友会は、毎年、このような活動をしてくださっています。経済界の方々、オピニオンリーダーの方々が、関心を持って、復興を支援してくださることは、ありがたいことです。
そのお礼も述べてきました。

五百旗頭先生、防災復興庁の創設を

3月8日の朝日新聞オピニオン欄に、五百旗頭真先生の「防災復興庁の創設 次なる天災の安全保障を」が載っています。
・・・この時代の日本に生きる者の責任として、私は新たな国の機関「防災復興庁」の創設を提言したい。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興のため、2012年2月に現在の復興庁が発足した。震災発生から10年が経過する21年3月に設置期限を迎えるが、その後も、福島を中心に、継続的に取り組まねばならない課題がなお存在することは広く知られている。
しかし、ここで私が提言したいのは、すでに起きた災害からの復興だけではなく、これから起こることが予想されている南海トラフ巨大地震や首都直下地震といった「国難」ともいえる災害を、この国が乗り越えていくための体制づくりだ・・・

・・・これまで復興庁はよくやってきたと思う。しかし、他省庁から異動してきて数年で元に戻るのではなく、将来の大災害に立ち向かう防災復興庁には、腰を落ち着けて働く専門家が必要である。気をつけたいのは、新たな役所をつくるとなると、既存省庁のどの部門を移すのか、どの省庁が主導権を握るのか、といった官僚政治ゲーム的な関心が優越することだ。関東大震災の際に後藤新平内相が復興院という強大な新組織を試み、わずか4カ月余りで破綻した・・・

・・・財政面の課題も大きい。古くから復旧費は予算のやりくりや寄付で賄われた。近代の関東大震災や阪神大震災では大規模な公債という借金が中心だった。巨大な復興費を要する東日本大震災では、初めて復興税が加わった。被災地の復興のために国民が増税を受け入れたことは注目に値する。日本国民は被災を他人事とは思わず、全国民で支えることを了承した。それによって、将来の世代を津波から救うための高台移転や海辺のまちの多重防御といった創造的な復興が可能になった・・・
原文をお読みください。

市場と情報化が追い立てる競争と不安

3月1日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思さんの「平成の終わりに思う にぎやかさの裏、漂う不安」から。

・・・この数年間で、市場競争はますますグローバルな規模へと拡張し、情報関係のイノベーションはさらに加速した。つまり、世界の国や人々の間の空間的な距離は縮まり、新しい技術開発はいっそう短時間になっている。その結果、一方では人々にグローバルな舞台が用意されると同時に、そのためにかつてない競争圧力にさらされ、イノベーションの加速は、これも人々に新たな可能性を開くと同時に、たえず時間との闘いを強いている。社会の流れについていけない者は多大なストレスを受けざるを得ないし、この変化と競争の真ん中にいる者も、もはや抜けだすことのできないメカニズムの自動運動のなかで疲れはててゆく・・・

・・・グローバリズムとイノベーションが一気に加速し、人々の自由は拡大し、カネもモノもあふれるなかで、人々が生きにくさを感じるのも当然だろう。自然に寄りかかれた価値や道徳観の崩壊、家族や地域や信用できる仲間集団の衰退、数値化できない人格的なものや教養的なものへの信頼の失墜、言論の自由の真っただ中でのPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさ)的正義による言論圧迫、それに対抗するかのような言いたい放題のSNS。「バベルの塔」に似せて言えば、神が人々に自由(好きな言葉をしゃべる自由)を与えた結果、言葉はもはや通じず(共通の規律や規範がなくなり)、バベルの塔はそのまま放置された、とでも言いたくなる・・・