『論壇の戦後史』

奥武則著『増補 論壇の戦後史』(2018年、平凡社ライブラリー)を読みました。元本は、2007年に平凡社新書で出ています。
主に、終戦直後から1960年安保まで、月刊誌『世界』を中心に、「論壇が輝いていた時代」を扱っています。主役は、清水幾太郎、丸山真男さんです。簡潔にまとまっていて、その時代を知らない人には、勉強になります。いろいろと考えたり思い出しながら読みました。

その後、進歩的知識人の地位が低下し、『世界』や論壇も地盤沈下します。
私が大学に入ったのは、1973年。その後の時代です。とはいえ、まだ、大学生(インテリ)なら、新聞は朝日新聞、週刊誌は『朝日ジャーナル』、月刊誌は『世界』を読むべきだという風潮がありました。
その後、新聞は日経新聞、週刊誌は『エコノミスト』(この2つは就職用にという意味もありました)、月刊誌は『諸君』に代わりました。政治の時代から経済の時代になったことを、反映していたのでしょう。

私は、次のような問題意識を持って、論壇を考えています。
・日本において、なぜ戦後一時期に、進歩的文化人・知識人がもてはやされ、論壇が輝いていたのか。そして、なぜその後、論壇にそのような活性化はないのか。
・西欧で吹き荒れているポピュリズムは、意見の違う集団が意見を戦わすのではなく、それぞれの陣地にこもって、支持者とだけ会話しています。会話が成り立たない。この状態を、どのように打破するのか。
・これからの日本社会を考える際に、オピニオンリーダーの役割は何か。マスコミや政党の役割は?
・そのような議論を戦わせる場はどこか。雑誌や新聞の役割は?SNSは便利ですが、冷静な意見の交換にはなりにくいようです。

またの機会に、続きを書きましょう。

空気の支配、再考

「その場の空気に流される」という表現や事態があります。ウィキペディアには「場の空気」として出ています。
山本七平さんの名著に『空気の研究』(現在は、文春文庫)があります。山本さんの著作は、大学生の頃によく読みました。

冷静にかつ客観的に判断すれば止めることができることを、その場の空気に流されて、(多くの場合は突進して)失敗することです。後になって、なぜ止めることができなかったかと問われ、その場にいた人が「仕方なかった」という言い訳に使われます。
しかし、そのような「空気」という物体があるわけではなく、関係者がそのような意識を共有するのです。
誰か「突進すること」を言い出す人がいます。多くの人がそれを忖度して、賛成します。あるいは、黙っています。そして、それを判断すべき責任者が、その意見を黙認します。その結果、誰が決定したのか、誰の責任かが、不明確になります。その場にいた全員が、責任者になりかねません。

そのような事態を、「部下に判断や実行を委ねるのがよい」という「座り型のリーダー論」が、助長します。その反対は、「決定は責任者が行い、その責任も決定者が負う」という「率い型のリーダー論」です。
前者は、全員参加・全員納得型の決定方法です。日本によくある型と言われました。それが、空気論をはじめとする日本人論です。農耕民族と狩猟民族との違いとも言われました。

日本社会のある面を説明する、説得ある説です。しかし、一皮むけば、決めるべき人が決めない、責任者が責任を取らないということです。時には、若い者の暴発を止めることができないのです。日本陸軍の若手将校を止めることができなかった幹部です。
このような文化論がまかり通ると、無責任組織、無責任社会になります。そのような人たちが国政を担ったり組織の幹部になると、国民や従業員はとんでもない被害に遭うことになります。参考「組織の腐敗」「責任者は何と戦うか

若い頃は、「日本社会や組織の空気の支配説」を納得しましたが、自分が小なりとはいえ責任ある立場になってからは、「あれは言い訳だ」と思うようになりました。責任者は、その場の空気に流されず、冷静な判断をすべきです。また、責任者でなくても、参加者の一員なら「それは違うと思います」と発言すべきです。

私が判断の基準にしたのは、次の2つです。
・後世の人に、説明できるか
・閻魔様の前で、説明できるか
責任者が、自ら下した判断やその結果に責任を持つなら、あるいは責任を追及されるなら、「空気の支配」は続かないと思います。

世界の長期的構造変化、改革と被害者

1月21日の日経新聞「月曜経済観測」、玉木林太郎・国際金融情報センター理事長の「試練の世界経済 長期の構造問題、議論必要」から。

・・・今の世界経済をどうみますか。
「世界は長期的な大きな構造変化期にある。グローバル化がモノやカネから人にまで及び様々な問題を引き起こす。デジタル化が企業や社会生活そのものを完全に変えようとしている。温暖化防止への脱炭素という課題ものしかかる。こうした要因が所得、資産の格差を拡大する方向に働き、政治的にはポピュリズム(大衆迎合主義)、反移民感情などにあらわれる」
「かつては経済の先行きはマクロ経済のトレンドをみればよかったが、今は長いスパンの構造問題の議論が必要だ」

―構造問題への対応が進んでいる国は。
「驚くかもしれないが、ある意味で中国、インドなど新興国はできあがったシステムがないので、解決法も見いだしやすい。先進国はできあがったシステムを壊さなければならない」
「トランプ米政権は炭鉱労働者を保護せざるを得ないが、中国は国全体の排出量取引市場を作った。やることが大胆でスピード感がある。デジタル化もそうだ。守るべきものがある人々と、ない人々の差だ」

―日本では過激な反動は起きていません。
「大きな抗議行動がないのは、敗者を生まないシステムだということだ。日銀は金融緩和をずっと続け、大胆な経済開放、規制緩和に踏み切らず、基本はゆっくりとした改革を続けている。徐々に競争力は低下するが、被害者という勢力は出てこない面もある」・・・

歩くことで健康を

1月21日の読売新聞が2ページを使って、体を動かすことの重要性を解説していました。
一つは、歩くことです。現代人の1日の歩数は、7千歩。狩猟時代は3万歩、江戸時代も3万歩と推定されています。狩猟時代は1日に30キロメートル歩いていた可能性があるとのこと。江戸時代の旅は、1日に男が40キロ、女が36キロ。1日に60キロ歩くこともあったそうです。
日本陸軍は、休憩を入れて1時間に4キロ、1日に24キロでした。1時間に6キロ、1日に40キロという話もあります。重い荷物をしょっていますから、そんなに早く遠くまで歩けたとは思えないのですが。
たまに日曜日に10キロ歩いた、それもゆっくりでは、ご先祖様に叱られます。

人類は何万年もの間、歩き続けました。交通機関が発達して、歩かなくなったら、体力が落ちるでしょう。いまの高齢者は、若いときは歩いて鍛えた世代です。今後、若い世代が歩かなくなると、健康寿命は短くなる可能性があります。

1に日にどれくらい座っているかの、各国比較が出ています。
ブラジル180分、アメリカ240分、ノルウェー360分、日本は420分です。
う~ん、これも我が身を省みて、そうですね。

また、30代の日本人の都市別歩数も出ています。
5万人未満の地方では6.2千歩、都市が大きくなるほど増えて、大都市だと1千歩です。これは、実感します。
東京だと、歩く距離が増えます。鉄道や地下鉄で移動して、そこからバスに乗るかタクシーですが、階段の上り下りがあり、少々の距離なら歩きます。また、建物が大きいので、その移動も歩きます。総務省から財務省まで歩くと結構な距離です。地方から来た人は、「車で行かないのですか」と言います。
地方都市だと、近い距離でも車で移動することが多いですよね。皆さん車を持っているし。
これが続くと、都会人の方が、健康で長生きすることになります。

記事のもう一つは、運動すると肉体だけでなく、脳を活性化するらしいのです。これも、実感できますよね。
じっと座っていることが続くと、良い考えが浮かびません。休日にごろんごろんしていると、すっきりしませんよね。

放射線量の安全基準

1月20日の読売新聞サイエンス欄に、増満浩志・編集委員の「被曝線量 数字に惑わずに」が1面を使って載っていました。
・・・放射線防護の枠組みは分かりにくい。特に原発事故後の対応は、平常時と大きく変わるだけに理解されづらく、「安全基準を緩めた」と批判されることもある。
リスクは「あるかないか」でなく、「どのくらい高いか低いか」が重要で、その判断には数字の意味を正しく理解することが欠かせない。科学的な根拠を飛び越えて「放射線量が年20ミリ・シーベルトでは危険」「いや心配ない」などと議論するのは不毛だ・・・

そして、具体的な事例が書かれています。
例えば、食品の基準値の100倍の肉を食べたらどのくらい被爆するか。全く心配ありません。なぜなら、この基準は食品の半分が基準値すれすれという想定で作られたからです。
日本の食糧自給率、そして原発事故被災地産の食品の市場占有率を考えると、そんなことはあり得ないでしょう。これは、チェルノブイリ事故の際に、被災地住民が「地産地消」で暮らしていたことを例にして作ったのではないでしょうか。そして、日本では、この基準値を上回るものは、出荷していません。
飲酒やたばこの発がんリスクとも比較してあります。

もちろん、安心については個人差があります。なるべく安全な方を選ぶのは当然ですが、その程度を誤ると、暮らしが不自由になり、余計なリスクを増やします。
わかりやすい解説です。ぜひお読みください。インターネットで読めると良いのですが。