東京財団が、「明治150年を展望する――近代の始まりから平成まで」という企画を続けています。気鋭の研究者による研究報告です。
その第3回は「メディアと政治と民主主義」でした。明治、大正、戦前、戦後と、政府と対立したメディア、ポピュリズムに加担したメディアが簡潔に分析されています。一読を、お勧めします。
短い整理ですが、長期、複雑な事象を簡潔にまとめるのは、とても難しいことです。だらだら書くより、高い分析力が必要です。
年別アーカイブ:2018年
中国共産党、歴史問題が国内統治の軸足
5月25日の日経新聞経済教室、江藤名保子・日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員の「歴史問題、国内統治の軸足」から。誠実さだけでは国際政治は動かないことが、よくわかります。原文をお読みください。
・・・中国共産党による独裁体制は「共産党が日本の軍事的侵略に対して国民党と協力して抵抗し、『抗日戦争』勝利を導いて国家存亡の危機を救った」という歴史解釈と、「共産党の指導により高度な経済発展を維持してきた」ことを根拠に正当化されている。
つまり共産党の正統性は基本的に(1)歴史(過去の成果)と(2)経済発展(現在の成果)――の2つに依拠している。そしてこうした論理を国内に浸透させるために政府は「管理」(公権力を用いた強制的な言論統制)と「誘導」(教育やメディア、各種の党組織を通じた思想統制)を両輪とする強力な世論コントロールを行ってきた。
中国の対日政策は継続的にこの世論コントロールの影響を受けてきた。だが実のところ、1970年代まで共産党政権にとって主たる敵はソ連や台湾の国民党で、国交正常化以降の日本はむしろ経済協力の担い手として期待と憧憬の対象だった。日本政府が歴史認識を巡り批判されるようになったのは、82年の第1次歴史教科書問題からだ・・・
・・・共産党政権が歴史問題を重視し始めた背景には、70年代末に開始した改革開放政策の下で、どのように一党独裁体制を維持するかというジレンマがあった。開放政策には経済発展という恩恵と同時に、政治改革(民主化)を求める世論を拡大する副作用があった。それはすなわち、共産党が正統性の根拠である経済発展(現在の成果)を求めるほど、一党独裁体制が揺らぐという矛盾の始まりだった。
そしてこの構造的な矛盾の下で、正統性のもう一つの根拠である「歴史」の重要性が高まっていった。それは89年の天安門事件を経て、愛国主義教育キャンペーンが導入され、共産党を支持する歴史教育が強化されたことに象徴的に表れていた。
2000年代、中国の歴史解釈に重要な変化があった。大国化が国家目標となったのに伴い、中国は日本に勝利したことにより世界の平和に貢献し、中華民族の発展の礎をつくったとの解釈が加わった。そして歴史解釈の主要テーマが「被侵略の苦難の歴史」から「戦勝国・大国の歴史」へと移行した結果、侵略者としての日本のイメージがある程度相対化された。
06年の安倍首相訪中時に中国側が日本の「戦後60年余、一貫して平和国家として歩んできた」という主張を積極的に評価したのはその証左だ。
だがそれは必ずしも歴史問題の収束を意味しなかった。13年12月の安倍首相の靖国神社参拝に対し各国駐在の中国大使は、日本は「戦後国際秩序への挑戦者」と従来とは異なる趣旨の批判を展開した。
その背後には、日本という悪役と対照的に位置づけることで、国際社会に貢献する大国・中国という国家イメージを認知させたいとの思惑があったのだろう。日中の歴史問題は単なる歴史解釈や謝罪の問題にとどまらず、より広範な外交問題に波及する段階に入ったといえる・・・
・・・こうした文脈で中国の対日政策を考えるとき、昨年12月の王毅国務委員兼外相による演説が意味深い。中国外交を総括した王氏は、大国関係として米中関係、中ロ関係、中欧関係に言及し、日本は「周辺環境」の一角に位置づけた。
すなわち中国外交で日中関係は大国関係とみなさないというメッセージを発したのである。インドを「大隣国で文明古国」と評しながら「周辺環境」に加えていることから、「中国はアジアの唯一の大国」という独自の情勢認識がにじんだと考えられる。
このような中国の論法は他国からみれば独善的ですらあるが、それは論理形成の過程で国内統治の方法論(管理と誘導)を踏襲しているためだと考えられる。つまり共産党政権が何に世論コントロールの軸足を置くかにより、中国の「大国」としての語りようが定まるのである。
一方、日本を含む「周辺」の国家に対して中国は、中長期的には自国の勢力圏に引き込みたいと考えているだろう。だがそのためには文化や政策で他国をひきつけ、ソフトパワーを高めることが肝要だ。共産党政権が独善的な「話語体系」に固執するならば、実現は難しいだろう・・・
霞が関の働き方改革
5月25日の日経新聞夕刊「政界Zoom」は、「霞が関も働き方改革」でした。しばらく前に、記者さんと雑談していた際に、「日本の3大ブラック職場は、過労死が出た電通のほか、霞が関、新聞記者だ」という、笑えない冗談が出ました。それほど、霞が関と記者の長時間労働、夜間労働は有名です。記事は、最近の変化について書いています。お読みください。
私も、近年の変化を感じています。
私の駆け出しの頃は、時期によっては職場に泊まり込むことも仕方ない(当然だ)という意識の職員もいました。はい、私もそうでした(参照、日経新聞夕刊コラム3月1日「仕事人間の反省」)。自分の経験に懲りて、課長になってからは、極力職員早く帰宅させるように心がけましたが。時期によっては、そうもいきませんでした。
また、かつては年休を取ることは、後ろめたかったですが。今は産休・育休を含めて、休みを取ることを、上司が推奨しています。職員の意識も、職場の慣行も、大きく変わってきました。普通の職場になりつつある、ということです。
上司の考え方、仕事の仕方(指示の出し方)によって、まだまだ残業は減らせると思います。拙著『明るい公務員講座 仕事の達人編』を参考にしてください。もっとも、国会待機などは、職場での工夫には限界がありますが。
ところで、記事にも書かれていますが、国家公務員には労働基準法が適用されず、今回の働き方改革法案からも除外されているようです。かつては、国家公務員は民間労働者とは違う「身分」という意識があったのでしょう。今やそれは、過去のものとなりつつあります。
機能ごとに、民間労働者と違う規制をすべきかどうか。それを見直して、法令による規制を行うべきでしょう。政治的行為の禁止、倫理法は公務員だけに適用されても、労働時間を民間労働者と別扱いする理由はないと思います。
中国と世界、関与政策の限界
5月24日の日経新聞経済教室、阿南友亮・東北大学教授の「中国共産党政権と日本 西側の関与政策 限界露呈」から。詳しくは原文をお読みください。
・・・いまようやく中国との経済関係に付随するリスクについて日米欧の政府当局者の間で一定の共通認識が生まれつつある。日米欧が20年以上維持してきた中国に対する「関与(engagement)」政策の妥当性を巡る議論も浮上している。
関与政策とは端的にいえば、米国を中心とする既存の世界経済システムに中国を組み入れ、中国に利益と安心を供与することで、中国との調和を図ることを狙う政策だ。1990年代前半にクリントン政権が打ち出して以降、米国ならびに日欧の対中政策の基本指針となってきた。
関与政策は、中国の経済発展に伴う中間層の拡大で政治の民主化を要求する機運が高まり、経済のグローバル化とともに、中国の政治体制改革を促すという未来予測を根拠としてきた。また同政策の支持者は、中国の政治体制の変化に伴い中国と日米欧の間に残る相互不信や緊張が緩和され、アジア・太平洋地域の安全保障環境が安定化に向かうという期待を持っていた。
そうした予測や見通しに基づき、日米欧は中国に対する経済支援と投資を積極的に進めてきた・・・
・・・だが現在、日米欧の眼前には当初の期待とは著しく異なる光景が広がっている。中国では様々な構造改革の試みもむなしく「権力と資本の癒着」に歯止めがかかっていない。すなわち中国共産党の高級幹部および党とコネでつながる集団が経済・産業の主要部分を独占的に支配し、富を特権的に囲い込んでいる・・・
・・・共産党は本来であれば、構造改革による格差是正に力を入れるべきだったが、そうした改革は特権集団の既得権益に抵触した。このため90年代以降、党内で優位に立った既得権益派は、一連の改革を骨抜きにしつつ排外的なナショナリズムを率先してあおり、それを通じて国内の不満を国外、特に日米に転嫁する政策に力を入れるようになった。
またそれと並行して、共産党直属の軍隊である人民解放軍に大々的に資金を投入するようになった・・・
・・・中国の大規模な軍拡は、中国国内の不満分子が日米欧と連携して共産党を窮地に陥らせるのではないかという根深い危機感と疑念に裏付けられている。それは危機感の起源となった89年の天安門事件以降約30年間維持されてきた。
共産党のプロパガンダにより90年代以降、国内に広く浸透した排外的色合いの濃い世界観は、中国でのネット世論の基調を成し、次第に中国外交を束縛するようになった。それにより中国政府が領土・海洋権益・安全保障などを巡り周辺諸国に譲歩することが困難になると、共産党は増強された解放軍を用いた威嚇や経済制裁を多用するようになった。これがアジア・太平洋地域の緊張増大を招いた。
結果的にいえば、米国主導の対中関与政策に基づく日米欧の巨額の対中支援・投資は中国の経済発展を後押ししたが、それにより中国との関係が安定化する展開にはならなかった。日米に関しては中国との経済的相互依存関係の発展と同時に、中国との軍事的緊張も増大の一途をたどるというジレンマが顕在化した・・・
・・・3月1日付英誌エコノミストは「中国が早晩民主化・市場経済化するという西側の25年来の賭けは外れた」と評価。現在の関与政策の立ち位置を的確に反映した指摘だろう・・・
官僚の行動原理?
5月19日の朝日新聞オピニオン欄、豊永郁子さんが、「忖度を生むリーダー」に、ハンナ・アーレントの有名な著作「エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」から、ナチスのユダヤ人大量殺戮がどのように実行されたか、官僚はどのように行動するかについて書いておられます。官僚のみならず、組織人に共通することででしょう。しかし、公権力の行使をする官僚には、会社員とは違った倫理が求められます。
・・・アイヒマン裁判でも、アイヒマンにヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンがヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、ときに喜々として遂行していたことは確かだ。しかし大量虐殺について、ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか、それが抗(あらが)えない命令だったのかなどは、どうもはっきりしない。
ナチスの高官や指揮官たちは、ニュルンベルク裁判でそうであったが、大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も、各地に展開した殺戮部隊による虐殺も、彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。
さて、他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は、一見、忠誠心などを背景にした無私の行為と見える。しかしそうでないことは、ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に、様々な個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例を見ればよくわかる。
冒頭で紹介したアーレントの著書は、副題が示唆するように、ユダヤ人虐殺が、関与した諸個人のいかにくだらない、ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲、金銭欲、競争心、嫉妬、見栄(みえ)、ちょっとした意地の悪さ、復讐心、各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は、そうした人間的な諸動機の隠れ蓑となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも、昇進への強い執着を持ち、役得を大いに楽しんだという。
つまり、他人の意志を推察してこれを遂行する、そこに働くのは他人の意志だけではないということだ。忖度による行動には、忖度する側の利己的な思惑――小さな悪――がこっそり忍び込む。ナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの意志」を理由にするが、それは彼らの動機の全てではなかった。様々な小さなありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き、そうした小さな悪が積み上がり、巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容の見えないシステムだったろう・・・