内閣府の原子力災害対策本部 原子力被災者生活支援チームが、原発事故被災者向けの広報紙「ふれあいニュースレター」を発行しています。
約5万部を、関係12市町村の広報物に同封するなど、避難者に届けています。
被災市町村の復興の具体状況がわかる、簡単な資料です。これまでは毎月発行していましたが、今回からは3か月に1回の季刊誌になります。
2018年秋号も、各市町村での商店の再開など、たくさんのニュースが載っています。ご覧ください。
年別アーカイブ:2018年
東日本大震災、インフラ復旧状況
8月10日に、東日本大震災での公共インフラの復旧状況(平成29年度末)を公表しました。
計画と実績を毎年取りまとめて、管理しています。また公表することで、関係者の方にわかりやすいようにしています。
平成29年度はおおむね計画通りに工事が進みましたが、一部では遅れが出ています。主な原因は、地元での調整の遅れです。
福島県内の原発事故被災地は、状況が異なるので、別にまとめています。
「福島12市町村における公共インフラ復旧の工程表」
神野直彦先生の財政学
神野先生の続きです。『経済学は悲しみを分かち合うために』から、財政学についてポイントとなる文章を引用します。
P159
この拙稿で私は、二つの新しい試みをした。一つは、財政現象を経済システム、政治システム、それに社会システムという社会全体を構成する三つのサブ・システムの結節点として位置づける「財政社会学(fiscal sociology)的アプローチ」という方法論を提起したことである。もう一つは、こうした方法論から日本型税・財政システムを、集権的分散システムとして規定し、それが戦時期に形成されたことを解き明かしたことである。集権的分散システムとは、決定は中央政府が担い、執行を地方自治体が担うという特色を意味している。
P132
私がコルム(アメリカの財政学者)から学んだ最も重要な財政学への視座は、コルムの「財政学は伝統的に定義されているように経済学という広範な分野の単なる一部門ではない」という言葉に象徴されている。つまり、コルムは財政学を経済学・政治学・社会学・経営学・会計学などの社会科学の「境界線的性格(borderline character)」をもつ学問と位置づけていたのである。
P164
現在の新古典派にもとづく財政学あるいは公共経済学という財政学のメイン・ストリームは、財政現象を政治現象や社会現象と切り離して、ジグソー・パズルの小片のみを分析対象としているにすぎない。しかし、前述したコルムは、「財政学は官房学と古典経済学の奇妙な婚姻の産物である」と指摘している。
・・・ところが、古典派経済学は財政という現象を、市場経済という自然的秩序としての経済システムに対する攪乱要因として分析していた。もちろん、それは古典派経済学が市場経済を自然的秩序として信仰していたからである。そのため古典派経済学は、財政を分析するにしても、市場経済に与える財政の影響に対象が絞られていた。コルムの言葉で表現すれば、このようにして古典派経済学では「財政学という特殊科学の発展を抑えてしまった」のである。
P167
新経済学派の二元的組織論は、ワグナーの組織論を継承しつつ、総体としての経済組織が、公共経済と市場経済という二つの異質な原理にもとづく、経済組織から構成されていると理解する考え方である。しかし、こうした二元的経済組織論では、異質な組織化原理にもとづく経済組織の交錯現象として、総体としての「社会」を把握しようとする意図は存在するものの、非経済的要因を経済システムの動きに還元しようとする分析意図に帰結する。
新経済学派の二元的組織論では、共同経済はもっぱら権力体の経済である国家経済と位置づけられ、非共同経済は「資本主義的市場経済」と想定される。つまり、ワグナーによって自主共同経済や慈善的経済組織として位置づけられていたボランタリー・セクターやインフォーマル・セクターという社会システムの存在は、意識されないのである。
これに対して私が財政社会学に着目したのは、財政社会学では財政を、経済・政治・社会の各要素を統合する「社会全体」としての機能的相関関係(Funktionalzusammenhang)において理解しようとしていると考えたからである。しかも、財政社会学ではサブ・システムとしての狭義の社会システムについても、その意義を見失うことがないのである。
暑い夏、アサガオの花
暑い夏が続いています。時に涼しい日があったり、豪雨が降ったり。安定しませんねえ。
孫と植えたアサガオは、これまで少ししか花を咲かせず、ツルばかり伸びていました。支柱(3本の柱の途中に輪っかがあるアレです)を越えて、ツルがゆらゆらしているので、毎日、輪っかに絡ませます。6基の支柱は、ツルと葉っぱでジャングル状態です。
ところが、今朝から突然たくさんの花を、咲かせ始めました。紺色が16輪、赤色が10輪です。これは豪華です。
つぼみもたくさんついているので、明日も咲かせることでしょう。
失敗した場合を教える教育、スウェーデンの中学教科書
8月4日の朝日新聞読書欄に、尾木直樹さんが、『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』を紹介しておられました。「教育に感じる若者への信頼」
・・・「あなた自身の社会」。教科書のタイトルにも、日本の公を優先する「公民」とは違って個の人権を尊重し、主権者を育成する思想が浮き彫りになっている。
特筆すべきは、社会の負の面の取り上げ方だ。暴力と犯罪、アルコールと麻薬、いじめ、離婚・・・。まず、それらの問題の背景に客観的・多面的・科学的に光を当てる。日本の道徳教育が陥りがちな「説教」的にではなく、徒(いたずら)に恐怖心に訴えもしない。「失敗」を犯してしまった場合に立ち直る方策や社会的保障も、複数の視点から丁寧に紹介する。ここには、今後直面するであろう様々な問題に真摯に向き合い、乗り越えてほしいという若者への「信頼」が感じ取れる・・・
このスウェーデンの社会の教科書は、拙著『新地方自治入門』でも引用しました。授業でも紹介しています。
特徴的なのは、失敗を犯した子供が立ち直る過程を教えること、社会保障などを教えていることです。
勉強して立派な大人になることを教えることも重要です。しかし、失敗をすることもあり、社会保障のお世話になること(これは権利です)もあります。これまでの日本の教育は前者を教え、後者については触れてこなかったのです。
私の表現では、社会も個人も「坂の上の雲」を目指すことを教え、「坂の下の影」は教えなかったのです。
ところで、この翻訳が出たのが1997年です。その後、スウェーデンでは、どのような改訂が行われているのでしょうか。知りたいですね。基本は変わらないのでしょうが。