年別アーカイブ:2018年

定住外国人政策

2018年11月3日   岡本全勝

10月30日の朝日新聞オピニオン欄「多民社会、ニッポン」、鈴木康友・浜松市長の「ロボット扱いしない制度を」から。
・・・国は90年当時から、ずっとダブルスタンダードです。経済産業省は「労働力として必要」という。けれども法務省や文部科学省、厚生労働省は腰が引けています。外国人の支援に乗り出すと、事実上、移民を受け入れることになってしまうからです。本音と建前が相反したままではよくありません。国に欠けているのは、外国人を受け入れる覚悟ですね。
労働力と考えてすませようとするからダメなんです。入ってくるのはロボットではありません。血の通った人間の集団です。どうやって社会に統合するかということを考えなければなりません。
今回、外国人労働者の受け入れを本格的に進めることにした国の方針は一歩前進だと思います。ただ滞在を原則5年にし、家族帯同も認めないといった規定はどうでしょうか。それは人をロボット扱いしていることになります。
「入国管理庁」を設置し、入国審査をしっかりするという方針にも賛成です。ただ残念ながら、社会統合に取り組む部署ではなさそうです。日本に入れたら現場まかせで、問題が起きたら犯罪者として捕まえるくらいのことしか考えていないように見えます・・・

10月28日の朝日新聞には、遠藤乾・北海道大学教授の「外国人政策 国が地方に丸投げ」も載っていました。

慶應大学、地方自治論Ⅱ第5回目

2018年11月3日   岡本全勝

昨日2日は、慶應大学で地方自治論Ⅱの第5回目の授業。地方税の説明に入りました。総務省自治税務局に提供してもらった資料を使い、実態の説明をしました。
また、去年に引き続き、所得税の申告書の説明も。所得税は国税ですが、どのような計算になっているかを理解してもらうためです。多くの従業員は、源泉徴収で天引きされているので、所得税がどのような計算式で算出されているか、知りません。私も、若い時はそうでした。
源泉徴収制度は、徴収する側は便利ですし、納税者も手間が省けて楽ちんなのですが、納税者が納税を意識しない、「天引きされているだけ」と思ってしまいます。しかし、国民として知っておくべき事柄です。
私の授業は、本を読めばわかることは話しません。慶應大学生なら、読むべき本と、特に読むべきか所を指示すれば、読んでくれますから。
本に書いていないことをお話しする、実務経験者としての知識をお話しすることが、私の役目です。
説明しきれなかった分は、来週お話しします。

匿名の投稿

2018年11月2日   岡本全勝

10月31日の読売新聞1面コラム「編集手帳」に、次のような文章が載っていました。本の通販サイトで、一般の人が星の数やコメントで批評を行う、「レビュー」についてです。
・・・短いコメントながら吟味された感想がある一方で、その通りとはうなずけないものも少なくない。いい本(小欄の勝手な評価ではあるが)なのに、面白い、面白くないといった購入者としての感想ならまだしも、本当に読んだのかどうか、的外れで悪口にしか見えないものものまで目立つ位置に掲示されることがある・・・

同感です。匿名の投稿なので、このような「無責任」な発言ができるのでしょうね。実名、写真入りなら、どこまで書けるか。これは、書評に限りません。
匿名なら無責任なことも書ける。逆に、野菜などで、生産者の名前と写真がついているものがあります。これは安心できます。

原発事故、個人の責任と仕組みの責任2

2018年11月2日   岡本全勝

原発事故、個人の責任と仕組みの責任」の続きです。次のような指摘もあります。

・・・「予見できなかった」「規則を守っていた」状態で大きな被害を生じたなら、そしてそれが会社幹部の責任でないなら。それは、そのような危険な装置を許した社会の仕組みに、責任があると思います。
すなわち、
・より安全な基準を作らなかった会社の責任
・より安全な基準を作らなかった政府の責任
・事故防止をできない施設を動かした、会社と政府の責任
です。
しかし、それを規制する(国民に安全を保障する)政府(経済産業省)が、この点については、何も答えていないようです。
今回の原因と対応策を明らかにしない限り、事故を起こすような装置は動かしてはいけないのでしょう・・・

この点も、なるほどと思います。
再稼働を納得してもらうためには、原因をはっきりさせて、「それについては、きちんと対応策をとりました。だらか安心してください」というべきでしょう。その際に、失敗したことについて「ごめんなさい」と言うのは、現在の日本では常識となっています。
もちろん、仕組みはそれ自体に主体性があるのではなく、責任を負うことはできません。仕組みが「ごめんなさい」と発言することはありません。仕組みは、人間が作るものです。この点については、別途書きましょう。
なお、関連して「お取りつぶしのパラドックス」を書いたことがあります。

原発事故、個人の責任と仕組みの責任

2018年11月1日   岡本全勝

東電福島第一原発事故について、会社幹部の責任を問う裁判が続いています。起訴された幹部たちは、「防ぐことは不可能だった」との発言をしているようです。裁判でどのような判決が出るかは、わかりません。
防止策をとっても防ぐことができなかったとして、またそれは幹部たちの責任でなかったとして、無罪になることもあり得ます。防ぐことができた、幹部に責任があったとしても、証拠が不十分で無罪になることもあります。
では、それで、国民は「そうだよな」と納得するか。ある人が、次のような趣旨のことを述べていました。

・・・「十分な措置を講じても、大災害を引き起こす原発事故を防げない」と判断されるなら、今後、原発を動かすことは難しいでしょう。多くの人が、「そんな危険なものを、動かして良いのか」と思うでしょう。
人間が作った道具や機械は、取り扱い方によって、人を傷つけます。包丁も自動車もそうです。しかし、「通常の注意をしていたら、大きな被害は生じない」との前提で、それら「危険物」を日常生活で使っています。通常の注意では大きな災害を起こす可能性がある装置は、このような判断の外にあります。原発は火力発電所に比べ、事故が起きた際の被害が桁外れに大きいのです。
関係者が「防ぐことはできなかった」と発言するなら、今後も同じようなことが起きる可能性があるので、再度動かしてはいけないことになります・・・

これに関して思い出すのが、日航機御巣鷹山墜落事故(1985年)です。ジャンボジェット機が制御不能となり、墜落しました。製造元であるボーイング社は、圧力隔壁の修理不十分が原因だと認めました。原因を究明して、他のジャンボ機は安全であると宣言したのです。もし原因が不明のままだと、世界中のジャンボ機が飛行禁止になる恐れもあります。これはこれで、一つの経営戦略だと思いました(もっとも、ボーイング社の職員は起訴されていないとのこと。事故の原因究明を優先するためだそうです)。

原因と責任が明らかになれば、次への防止策をとることができます。しかし、「防ぐことができなかった」あるいは「原因はわからない」となると、「じゃあ、そんな危ないものは動かしてはいけない」となります。

なお、今回おきた原発事故が、全く防ぐことができなかったわけではありません。東北電力女川原発は、震源により近かったのですが、津波による事故を起こさず停止しました。
この項続く