被災者の私有財産への公費投入

月刊『文藝春秋』2019年1月号、五百旗頭真・兵庫県立大学理事長の「二つの大震災 安全神話を越えて」から。詳しくは原文をお読みください。

・・・平成を振り返ってみると、度重なる災害を通して、災害対応・復興のノウハウがこの国と社会に着実に蓄積されていきました。ある意味、震災が平成日本を鍛え上げたと言えるでしょう・・・
・・・(阪神・淡路大震災の際に)兵庫県の貝原知事は震災直後から、地元主導の復興計画を説き、国に向けて「創造的復興」を訴えました。これは「単に震災前の状態に戻すのではなく、21世紀の成熟社会にふさわしい復興を成し遂げる」という趣旨のものでした。
しかし、国の反応は厳しいものでした。大きな障壁となったのは、「被災地の公共施設を旧に復するのは国の責任だが、よりよいものをつくるのであれば地元の資金で」という、当時「後藤田ドクトリン」とも呼ばれた行政の論理です。要するに「焼け太りは許されない」との上から目線の冷たい線引きでした。加えて、被災者に対して、私有財産は自分で立て直すのが筋だという行政の論理が貫かれてました。

実は、この考えの源流は明治時代にまで遡ります。明治13年の「太政官布告」は、災害の際に破壊された個人財産については公費の対象にならないと定めたもので、この点で、大蔵省を中心とする行政の論理は明治以来のものです。他方、内務省などは護民官的な救援強化を推進してきました。
政府はこの「後藤田ドクトリン」を盾にして「法体系系の整合性」を説き、公共部門の復旧はさせても、被災者個人の生活再建に国費を投じることは認めようとしなかったのです・・・