原発事故、個人の責任と仕組みの責任2

原発事故、個人の責任と仕組みの責任」の続きです。次のような指摘もあります。

・・・「予見できなかった」「規則を守っていた」状態で大きな被害を生じたなら、そしてそれが会社幹部の責任でないなら。それは、そのような危険な装置を許した社会の仕組みに、責任があると思います。
すなわち、
・より安全な基準を作らなかった会社の責任
・より安全な基準を作らなかった政府の責任
・事故防止をできない施設を動かした、会社と政府の責任
です。
しかし、それを規制する(国民に安全を保障する)政府(経済産業省)が、この点については、何も答えていないようです。
今回の原因と対応策を明らかにしない限り、事故を起こすような装置は動かしてはいけないのでしょう・・・

この点も、なるほどと思います。
再稼働を納得してもらうためには、原因をはっきりさせて、「それについては、きちんと対応策をとりました。だらか安心してください」というべきでしょう。その際に、失敗したことについて「ごめんなさい」と言うのは、現在の日本では常識となっています。
もちろん、仕組みはそれ自体に主体性があるのではなく、責任を負うことはできません。仕組みが「ごめんなさい」と発言することはありません。仕組みは、人間が作るものです。この点については、別途書きましょう。
なお、関連して「お取りつぶしのパラドックス」を書いたことがあります。

原発事故、個人の責任と仕組みの責任

東電福島第一原発事故について、会社幹部の責任を問う裁判が続いています。起訴された幹部たちは、「防ぐことは不可能だった」との発言をしているようです。裁判でどのような判決が出るかは、わかりません。
防止策をとっても防ぐことができなかったとして、またそれは幹部たちの責任でなかったとして、無罪になることもあり得ます。防ぐことができた、幹部に責任があったとしても、証拠が不十分で無罪になることもあります。
では、それで、国民は「そうだよな」と納得するか。ある人が、次のような趣旨のことを述べていました。

・・・「十分な措置を講じても、大災害を引き起こす原発事故を防げない」と判断されるなら、今後、原発を動かすことは難しいでしょう。多くの人が、「そんな危険なものを、動かして良いのか」と思うでしょう。
人間が作った道具や機械は、取り扱い方によって、人を傷つけます。包丁も自動車もそうです。しかし、「通常の注意をしていたら、大きな被害は生じない」との前提で、それら「危険物」を日常生活で使っています。通常の注意では大きな災害を起こす可能性がある装置は、このような判断の外にあります。原発は火力発電所に比べ、事故が起きた際の被害が桁外れに大きいのです。
関係者が「防ぐことはできなかった」と発言するなら、今後も同じようなことが起きる可能性があるので、再度動かしてはいけないことになります・・・

これに関して思い出すのが、日航機御巣鷹山墜落事故(1985年)です。ジャンボジェット機が制御不能となり、墜落しました。製造元であるボーイング社は、圧力隔壁の修理不十分が原因だと認めました。原因を究明して、他のジャンボ機は安全であると宣言したのです。もし原因が不明のままだと、世界中のジャンボ機が飛行禁止になる恐れもあります。これはこれで、一つの経営戦略だと思いました(もっとも、ボーイング社の職員は起訴されていないとのこと。事故の原因究明を優先するためだそうです)。

原因と責任が明らかになれば、次への防止策をとることができます。しかし、「防ぐことができなかった」あるいは「原因はわからない」となると、「じゃあ、そんな危ないものは動かしてはいけない」となります。

なお、今回おきた原発事故が、全く防ぐことができなかったわけではありません。東北電力女川原発は、震源により近かったのですが、津波による事故を起こさず停止しました。
この項続く

議員定数を第三者が決める

10月29日の読売新聞連載「時代の証言者」、佐々木毅・元東大総長の「定数是正と格差是正答申」から。
佐々木先生は、2014年、衆議院議長の諮問機関として設置された衆議院選挙制度調査会の座長に就任しました。そして、2016年に、定数削減10と小選挙区(6減)での割り振りを答申します。

・・・各党は定数削減を選挙で約束したので、何とか手形を落とそうとした。でも、自縄自縛に陥り、我々第三者委員会に委ねたわけです。定数是正は我々の答申通りに実現しました。
英国議会を訪問調査した際、議会事務局幹部の言葉が印象的に残っています。「議員の数くらい、議会が決めるものではないか」・・・