「リーマン・ショックから10年」の続きです。
2008年9月15日に、リーマン・ブラザーズが経営破綻しました。9月24日に麻生内閣が発足し、まずはその対応が仕事になりました。
財務省出身の浅川総理秘書官(現・財務省財務官)が、この分野の専門家でした。これは幸運でした。彼が中心になって、財務省・金融庁・日銀との連絡を取り、対策を作りました。私は、国際金融については素人です。浅川秘書官の解説を受けて、仕組み、問題点、対応策を勉強しました。
日本の金融機関はバブルの記憶が新しく、サブプライムローンはたくさん抱えていませんでした。当時、日本は世界第2位の経済大国です。日本がそして麻生総理が、国際的にリーダーシップをとりました。
各紙は、あまり詳しくはこの功績を書いていませんが。たとえば9月19日の読売新聞「金融危機10年」第7回で、触れています。
・・・「ワン、ゼロ、ゼロ、ビリオン」
リーマン・ブラザーズの破綻から2か月後の2008年11月、米ワシントンで初めて開かれたG20首脳会議。日本の首相、麻生太郎が、日本の外貨準備から、1000億ドル(当時のレートで9.6兆円)を国際通貨基金(IMF)に融資する考えを表明すると、新興国の首脳から拍手が起こった。財政・金融政策などあらゆる政策を総動員することで各国は一致した・・・
浅川・元秘書官は、9月18日の日経新聞で、2008年11月、20カ国・地域(G20)首脳会議をワシントンで初めて開いたことに関して、次のように回想しています。
「呼びかけたのはブッシュ米大統領(子)だ。08年10月、麻生首相が静岡県に出張していた際、ホワイトハウスから同行秘書官の携帯電話に電話が入った。電池切れを心配しながら、日米首脳会談が始まった。財務相らが集まるG20の枠組みを使い、首脳会議を開きたいという話だった。緊急を要しており、それでいきましょうと合意した」
「麻生首相は初回会議の場で危機対応の提言をまとめた資料を配った。資料を用意したのは参加した首脳のなかで麻生首相だけ。必要な短期、中期、長期の対策を提言した。日本は1990年代に金融危機を経験していたので、知見があった」
「特に重要だったのは国際通貨基金(IMF)への融資の提案だ。危機が飛び火しそうになった国に予防的に資金を融資できるようにする狙い。麻生首相が日本から1000億ドルを融資すると表明すると、各国が賛同しIMFの資金基盤は倍になった。G20会議が終わったあとにインドのシン首相とブラウン英首相が麻生首相に近寄って握手を求めてきた」
この項続く。