「スマートでないスマートフォン」の続きです。
一時、忖度(そんたく)という言葉がはやりました。そして、日本人は忖度する民族だというような指摘がありました。おもてなし上手で、気配りもできるという指摘も。
私は違うと思います。辞書では、忖度とは「他人の心情を推し量ること、また、推し量って相手に配慮すること」と説明されています。
このページでしばしば批判するように、電車内や通路でスマートフォンやゲーム機に熱中している人がいます。ちっとも、周囲の人を配慮していません。多くの日本人は、忖度好きどころか、忖度できない人なのです。
では、なぜ、公務員や社員の忖度が取り上げられたか。それは、次のように説明することができます。
日本社会は、「身内」には親切ですが、「ソトの人」には冷たい社会でした(山岸俊男著『信頼の構造』1998年、東大出版会)。
身内には強い信頼関係を築きますが、世間一般では信頼関係はそれほど強くないのです。だから、役所や会社の中では、(特に)部下が上司の顔色をうかがいます。それは、日本に限ったことではありません。
違いは、日本における、ソトの人に対する配慮のなさと、身内への忖度との差が大きいことでしょう。
忖度の定義を、「身内や組織内の他人の心情を推し量ること、そして相手に(過度に)配慮すること」とすべきです。
同じように、おもてなしや気配りがよいという説も、身内と顧客に対してです。