神野直彦先生の財政学

神野先生の続きです。『経済学は悲しみを分かち合うために』から、財政学についてポイントとなる文章を引用します。

P159
この拙稿で私は、二つの新しい試みをした。一つは、財政現象を経済システム、政治システム、それに社会システムという社会全体を構成する三つのサブ・システムの結節点として位置づける「財政社会学(fiscal sociology)的アプローチ」という方法論を提起したことである。もう一つは、こうした方法論から日本型税・財政システムを、集権的分散システムとして規定し、それが戦時期に形成されたことを解き明かしたことである。集権的分散システムとは、決定は中央政府が担い、執行を地方自治体が担うという特色を意味している。

P132
私がコルム(アメリカの財政学者)から学んだ最も重要な財政学への視座は、コルムの「財政学は伝統的に定義されているように経済学という広範な分野の単なる一部門ではない」という言葉に象徴されている。つまり、コルムは財政学を経済学・政治学・社会学・経営学・会計学などの社会科学の「境界線的性格(borderline character)」をもつ学問と位置づけていたのである。

P164
現在の新古典派にもとづく財政学あるいは公共経済学という財政学のメイン・ストリームは、財政現象を政治現象や社会現象と切り離して、ジグソー・パズルの小片のみを分析対象としているにすぎない。しかし、前述したコルムは、「財政学は官房学と古典経済学の奇妙な婚姻の産物である」と指摘している。
・・・ところが、古典派経済学は財政という現象を、市場経済という自然的秩序としての経済システムに対する攪乱要因として分析していた。もちろん、それは古典派経済学が市場経済を自然的秩序として信仰していたからである。そのため古典派経済学は、財政を分析するにしても、市場経済に与える財政の影響に対象が絞られていた。コルムの言葉で表現すれば、このようにして古典派経済学では「財政学という特殊科学の発展を抑えてしまった」のである。

P167
新経済学派の二元的組織論は、ワグナーの組織論を継承しつつ、総体としての経済組織が、公共経済と市場経済という二つの異質な原理にもとづく、経済組織から構成されていると理解する考え方である。しかし、こうした二元的経済組織論では、異質な組織化原理にもとづく経済組織の交錯現象として、総体としての「社会」を把握しようとする意図は存在するものの、非経済的要因を経済システムの動きに還元しようとする分析意図に帰結する。
新経済学派の二元的組織論では、共同経済はもっぱら権力体の経済である国家経済と位置づけられ、非共同経済は「資本主義的市場経済」と想定される。つまり、ワグナーによって自主共同経済や慈善的経済組織として位置づけられていたボランタリー・セクターやインフォーマル・セクターという社会システムの存在は、意識されないのである。
これに対して私が財政社会学に着目したのは、財政社会学では財政を、経済・政治・社会の各要素を統合する「社会全体」としての機能的相関関係(Funktionalzusammenhang)において理解しようとしていると考えたからである。しかも、財政社会学ではサブ・システムとしての狭義の社会システムについても、その意義を見失うことがないのである。

暑い夏、アサガオの花

暑い夏が続いています。時に涼しい日があったり、豪雨が降ったり。安定しませんねえ。

孫と植えたアサガオは、これまで少ししか花を咲かせず、ツルばかり伸びていました。支柱(3本の柱の途中に輪っかがあるアレです)を越えて、ツルがゆらゆらしているので、毎日、輪っかに絡ませます。6基の支柱は、ツルと葉っぱでジャングル状態です。
ところが、今朝から突然たくさんの花を、咲かせ始めました。紺色が16輪、赤色が10輪です。これは豪華です。
つぼみもたくさんついているので、明日も咲かせることでしょう。

失敗した場合を教える教育、スウェーデンの中学教科書

8月4日の朝日新聞読書欄に、尾木直樹さんが、『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』を紹介しておられました。「教育に感じる若者への信頼

・・・「あなた自身の社会」。教科書のタイトルにも、日本の公を優先する「公民」とは違って個の人権を尊重し、主権者を育成する思想が浮き彫りになっている。
特筆すべきは、社会の負の面の取り上げ方だ。暴力と犯罪、アルコールと麻薬、いじめ、離婚・・・。まず、それらの問題の背景に客観的・多面的・科学的に光を当てる。日本の道徳教育が陥りがちな「説教」的にではなく、徒(いたずら)に恐怖心に訴えもしない。「失敗」を犯してしまった場合に立ち直る方策や社会的保障も、複数の視点から丁寧に紹介する。ここには、今後直面するであろう様々な問題に真摯に向き合い、乗り越えてほしいという若者への「信頼」が感じ取れる・・・

このスウェーデンの社会の教科書は、拙著『新地方自治入門』でも引用しました。授業でも紹介しています。
特徴的なのは、失敗を犯した子供が立ち直る過程を教えること、社会保障などを教えていることです。
勉強して立派な大人になることを教えることも重要です。しかし、失敗をすることもあり、社会保障のお世話になること(これは権利です)もあります。これまでの日本の教育は前者を教え、後者については触れてこなかったのです。
私の表現では、社会も個人も「坂の上の雲」を目指すことを教え、「坂の下の影」は教えなかったのです。

ところで、この翻訳が出たのが1997年です。その後、スウェーデンでは、どのような改訂が行われているのでしょうか。知りたいですね。基本は変わらないのでしょうが。

神野直彦先生の人生と思想

神野直彦著『経済学は悲しみを分かち合うために』(2018年、岩波書店)をお勧めします。先生から贈っていただいて、読み終えたのですが、このホームページで紹介するのが遅れました。
先生には、地方分権改革、特に税源移譲の際に、お教えを乞いました。その後、親しくしていただいています。

この本は、先生の自叙伝です。特に、先生がどのようにして財政学を志したか、そしてどのような財政学を目指したかが、書かれています。
経済学、特に財政学が客観的な分析の学ではなく、人の生活と切り離すことができないことが、よくわかります。人間を幸福にする経済であり、そのための学問であると、喝破されます。
既存の財政学・経済学とは違った学説を掲げられ、ご自身でおっしゃっているように、批判を受けられました。しかし、既存の経済学が数字や理論に走り、何のための経済学かを忘れたように、私にも思えます。

そのような部分を詳しくする、算式を詳しくするのではなく、先生は、財政学がどのようなものかについて、新しい枠組みを提示されます。すなわち、財政を、経済システム、政治システム、社会システムという三つのサブ・システムの結節点ととらえます。
私は、公共政策論で、官共私の3元論を唱えていますが、我が意を強くして、授業や著作では先生の財政学を引用しています。

先生の必ずしも順風でない人生も、語られています。回り道をされた学者人生。網膜剥離による視力の減退、これは資料を読む学者にとっては、致命的なことです。それを乗り越えられた苦労。そして、奥様への並外れた愛情(ここは私も負けました)。この項続く

敗戦の認識3 経済復興と道義の復興

敗戦の認識の続きです。『日本の長い戦後』を読んで、次のようなことも考えました。

著者は、経済復興とともに、道義的な復興の重要性を論じます(p170~)。
日本は、1952年に独立を回復しました(ただし、沖縄などが日本に復帰したのは、後です)。1956年には「経済白書」が「もはや戦後ではない」と宣言しました。その後の高度経済成長で、世界第2位の経済大国になりました。国際関係では、1956年に国際連合に加盟し、アジア各国とも賠償交渉を行い国交を回復しました。国際社会に復帰したのです。
しかし、1990年代以降に、歴史認識問題がアジアで激しくなりました。「国際的な復興」は終わっていなかったのです。

敗戦からの復興には、国内での経済的復興、国際的な国交回復のほかに、精神的復興や、国内外での道義の復興があるようです。
精神的復興は、落ち込んだ気持ちから立ち直ることです。世界第二位の経済大国になることで、精神的な落ち込みは、埋められたようです。ノーベル賞受賞やスポーツ界での日本選手の活躍なども。これで、自信を取り戻しました。
道義的復興は、個人や会社の失敗に引き直すと、反省してお詫びをして、けじめをつけるということでしょうか。国際政治としては、東京裁判を受け入れることで、けじめをつけました。しかし、戦争主導者を裁くだけでなく、国家国民として、自らにそしてアジアの被害者に、どのように反省をしてけじめをつけたかが問われています。

日本国民は、経済復興に酔いましたが、道義的復興は置き去りにしたようです。
明治以来の「脱亜入欧」は、日本人に目標を与え、またアジアで最初の発展は自尊心をくすぐりました。「非白人国では日本だけ・・」はうれしかったです。
日本だけが経済成長に成功し、アジア各国が経済成長をしていない段階(1980年代まで)では、アジア各国と「友達」になることは難しかったでしょう。アジア各国が経済成長を開始し、日本と同等あるいは日本を追い抜く経済成長を遂げたことで、「同じ土俵で」議論することができるようになったのです。だから、1990年代以降に、アジアで日本の戦争責任が問題になったのでしょう。

ところで、学生時代に聞いた話があります。日本の政治家が、中国の政治家に「日本が国際社会で認められるのはいつでしょうか」と質問した際の答えです。
「百年経つか、日本より残虐な国が出てきて戦争をするかでしょう」。
この項続く