敗戦の認識3 経済復興と道義の復興

敗戦の認識の続きです。『日本の長い戦後』を読んで、次のようなことも考えました。

著者は、経済復興とともに、道義的な復興の重要性を論じます(p170~)。
日本は、1952年に独立を回復しました(ただし、沖縄などが日本に復帰したのは、後です)。1956年には「経済白書」が「もはや戦後ではない」と宣言しました。その後の高度経済成長で、世界第2位の経済大国になりました。国際関係では、1956年に国際連合に加盟し、アジア各国とも賠償交渉を行い国交を回復しました。国際社会に復帰したのです。
しかし、1990年代以降に、歴史認識問題がアジアで激しくなりました。「国際的な復興」は終わっていなかったのです。

敗戦からの復興には、国内での経済的復興、国際的な国交回復のほかに、精神的復興や、国内外での道義の復興があるようです。
精神的復興は、落ち込んだ気持ちから立ち直ることです。世界第二位の経済大国になることで、精神的な落ち込みは、埋められたようです。ノーベル賞受賞やスポーツ界での日本選手の活躍なども。これで、自信を取り戻しました。
道義的復興は、個人や会社の失敗に引き直すと、反省してお詫びをして、けじめをつけるということでしょうか。国際政治としては、東京裁判を受け入れることで、けじめをつけました。しかし、戦争主導者を裁くだけでなく、国家国民として、自らにそしてアジアの被害者に、どのように反省をしてけじめをつけたかが問われています。

日本国民は、経済復興に酔いましたが、道義的復興は置き去りにしたようです。
明治以来の「脱亜入欧」は、日本人に目標を与え、またアジアで最初の発展は自尊心をくすぐりました。「非白人国では日本だけ・・」はうれしかったです。
日本だけが経済成長に成功し、アジア各国が経済成長をしていない段階(1980年代まで)では、アジア各国と「友達」になることは難しかったでしょう。アジア各国が経済成長を開始し、日本と同等あるいは日本を追い抜く経済成長を遂げたことで、「同じ土俵で」議論することができるようになったのです。だから、1990年代以降に、アジアで日本の戦争責任が問題になったのでしょう。

ところで、学生時代に聞いた話があります。日本の政治家が、中国の政治家に「日本が国際社会で認められるのはいつでしょうか」と質問した際の答えです。
「百年経つか、日本より残虐な国が出てきて戦争をするかでしょう」。
この項続く