8月5日の読売新聞1面コラムは、北岡伸一先生の「東大法学部の凋落 官僚バッシングの帰結」です。東大法学部の人気が落ちていること、公務員制度の危機を書いておられます。
・・・給与は安い。一流企業と比べると、かなり安い。役人トップの次官でも、大企業トップの10分の1程度、好調な民間企業の課長程度である・・・恵まれない条件でも優秀な若者が霞が関に進むのは、国家の運営に携われる使命感と満足感からだった。しかし現在、それも難しくなっている・・・
・・・かつて世界の日本に対する信頼は公務員にあった・・・しかし、現状のような劣悪な待遇と政治に対する自律性の喪失が続けば、質の高い日本の官僚制は、維持できないだろう・・・
・・・東大法学部の側にも一定の責任がある・・・現実の世界の問題に対応する生き生きとした学問を教えているだろうか。例えば憲法学である。憲法(Constitution)とは骨格のことで、元来、国家の基本法のことだ。しかし東大(のみならず大部分の大学で)の憲法学は、ほとんどが日本国憲法の解説である。日本をより良く運営するにはどうすべきか、世界の大きな変化にどうすれば的確に対応できるか、といった議論は、ほとんどなされていない・・・
ぜひ、原文をお読みください。
官僚制批判は昔からありますが、昨今の批判は質が違ってきています。かつての批判は、官僚を批判しつつも信頼してもらっていました。近年は、仕事の成果において、そして立ち居振る舞いについて、国民の信頼を失っています。私には、これが心配です。先日の毎日新聞インタビュー、日経新聞インタビューでも、指摘しました。
北岡先生の指摘の後段、東大法学部がふさわしい教育をしているかについても、同感です。かつては官僚をつくるための「予備校」でした。明治国家がそのために東大を作ったのですから。そしてその教育内容は、欧米先進国に学ぶことと、できあがった法律の解釈論でした。そこに満足していることで、発展は止まりました。
卒業して官僚になると、その弊害が出て来ます。既存の法律を解釈するには長けているのですが、それが故に、新しい法律を作らない結果になるのです。
優秀な官僚ほど、現状維持になってしまうのです。(このホームページでも指摘し続けています。例えば「提言・国家官僚養成」。かなり古いですね)