7月28日の朝日新聞オピニオン欄、ニューヨークタイムス、デイビッド・ブルックスさんの「地域主義の復活 人間味のある緩やかな革命 」から。
・・・私たちはこれまで自由主義や保守主義を試みてきた。最近はポピュリズム(大衆迎合主義)を試している。次の時代を方向づけるのは、ローカリズム(地域主義)の復活だろう。
ローカリズムとは、権力は、地域社会や市、州レベルで行使されるべきだという考え方である。ローカリズムが、物事の進め方や哲学としても盛んになっているのは、国の中央政府が機能不全に陥っている一方で、多くの市町が活力を取り戻しているからだ。ワシントンの政治家が互いに抽象的なイデオロギーを浴びせ合うのは惨めなものだが、市長や知事たちは具体的な成果を次々と生み出していて充足している。
ローカリズムが最近盛んなのは、多くの都市が国よりも明快なアイデンティティーを持っているからでもある。私たちが社会に対する信頼度が低い時代に生きていることも、広がりを増す理由の一つだ。人々が信頼するのは、身近にいる地に足のついた変革のリーダーたちだけなのだ。
次の時代にくるのは、おそらくこのローカリズムの波だろう。そう仮定し、いくつか指摘しておくことは有用だろう・・・
・・・ローカリズムは真の革命である
ローカリズムの文字通りの意味は権力構造をひっくり返すことだ。これまで数十年の間、金、人材、権力は国家権力の中心に向かって流れていた。キャリアを積んだ政治家たちは中央政治への進出を目指し、優秀な若者は国立大学を経てニューヨークやワシントンへと押し寄せた。連邦政府はアメリカ人の生活への支配を強めていった。
しかしローカリズムにおいて、権力が集中しているのは実際に仕事が行われているシャベルの先端なのだ。専門の知識や技能はシンクタンクではなく、物事がどのような場所でどう進み、それを誰が行うのかといったローカルな知識を持つ人たちの間にこそある。成功は、どれだけ大きなスケールでできるかではなく、どれだけ深く関われるかによって決まるのだ・・・
・・・ローカリズムは連邦政府の権力行使の縮小版ではない。違う種類の権力だ
第1の違いは認識論の問題だ。連邦政府の政策立案者は「ホームレスの問題について我々に何ができるだろうか?」と問う。一方、ローカルの人は(ホームレスである)フレッドやマリーに、家を持つためには何が必要かを直接問いかける。
連邦レベルの政治家が見ているのは、データに還元できる事象だ。だが、地域レベルの政治家は、データ化できる物事も、そうではないものも見ているのだ。
第2の違いは関係性だ。連邦の権力は人間味がなく、画一的、抽象的で規則を重視する。一方、ローカルな権力には個性があり、相関的で愛情があり、不規則で、助け合いと信頼という共通の経験に基づく。国家のシステムは合理的な知性を高く評価するが、ローカルなシステムは情緒的な知性もまた求めるのだ・・・
我が意を得たりです。原文をお読みください。