慶應大学、公共政策論第10回目

公共政策論も、第10回目。今日は、良い社会は、どのような要素でできているか。それを実現するためには、どのような方策が必要かについてお話ししました。

社会のいろいろなリスクを軽減するのが、行政・公共の役割です。反対から見ると、どのような社会が理想なのか。それを要素に分解しました。これまでに使っている「地域の財産」の表を使ってです。
すると、自然環境、公共施設(狭い意味での社会資本、インフラ)以外に、各種の制度、人間関係、(伝統)文化など、目に見えない要素も、重要なのです。これらを総称して、社会的共通資本(資産)と呼びます。

女性が夜一人で歩くことができる街、自動販売機が人気のない地域に立っていて壊されない社会。老人が電車に乗ってきたら席を譲る社会。勤勉と清潔を尊ぶ気風。これらは、暮らしていく上で安心できる重要な要素です。いくら道路ができても、電車走っていても、このような安心がないと、暮らしにくいです。
この写真に撮ることができない、金額で表せない「財産」については、日経新聞夕刊コラム「社会の財産」(3月15日)にも書きました。

これまでの、行政や公共論は、インフラ(狭義)などを議論し、視野が狭かったです。
難しいのは、これら関係資本をどのようしたら作り、維持することができるかです。道路や箱物なら、お金と技術があればできるのですが。
社会関係資本を支えている「住民の意識」。これをどのように育てるかです。
これから、文化的背景が異なる外国人(移民)をたくさん受け入れるとなると、対策が必要です。

慶應大学、地方自治論Ⅰ第10回目

今日は、慶應大学で地方自治論Ⅰの第10回目の授業でした。議会について説明しました。制度とともに、運営の実際と、期待されている役割を果たしているか、その評価についてもお話ししました。
「地方自治論」は、かつては制度と仕組みを話せば良かったのですが、今は定着した仕組みが期待通りの機能を発揮しているか、それを検証する時代になりました。
ここは、実務家教員の得意とするところです。教科書には書かれていないので、新聞記事などを配って、説明しました。

日経新聞夕刊コラム第24回

日経新聞夕刊コラム第24回「明日香村」が載りました。

正確には、私が生まれた昭和30年当時は、奈良県高市郡高市村大字岡でした。その後に合併して、高市郡明日香村大字岡になりました。飛鳥村と書かないのは、合併した旧村の一つが飛鳥村で、新しい村の名前に明日香村を使ったのです。いずれも、万葉集に出てくる「あすか」(万葉仮名)です。本籍は、そこに残してあります。

「岡」と「岡本」というのは、古い地名のようです。岡寺という有名な寺があり、その門前町で栄えました。西国33ヵ所の第7番札所で、私の子供の頃までは、巡礼の人を見ました。春や夏のお祭りや市も、賑やかでした。今となっては、過去形です。
岡本宮は、7世紀に、岡にあった大和朝廷の宮殿です。岡の麓で、岡本と名づけたのでしょう。わが家の祖先も、それにあやかって、名乗ったようです。折口信夫さんの親戚になるとのことです。書かれたものにも出て来ます。「・・大和の明日香村岡寺前の岡本善右衛門の八男・・」。

石舞台古墳は、当時は石室の上に、登ることができました。あの大きな石ですが、ある方向からは、子供でも簡単に登ることができるのです。今は、登ることは禁止されています。玄室には、入ることができます。壁や天井の巨大な石が、怖かったです。落ちてこないかと。

小学校高学年になるまで、学校にプールはなく、青年団の兄ちゃんたちが、飛鳥川をせき止めて天然プールを作ってくれました。今となっては、ぜいたくな話です。
新たにできたプールも、飛鳥川の水を引き込んでいました。その季節になると、上流の家の子供たちはチラシを持って帰ります。「川の水をプールに使うので、農薬を使わないでください」といった趣旨が書かれていました。
魚、カエル、蛍、トンボ、蝉、モグラ・・・たくさん捕まえて、殺してしまいました。生き物たちにひどいことをしました、すみません。学校の解剖に使ったカエルは、板蓋宮跡の井戸(当時はそう呼んでいました)で捕まえました。
家では蚊帳をつって寝ましたが、玉虫も飛んできました。蛇もムカデも来ましたが。
昭和30年代の故郷の話は、始めると尽きません。それはまたの機会にしましょう。

来週で、この連載も最終回です。

アマゾン社もパワーポイント禁止

NHKウエッブニュース「失敗するなら早く! アマゾン成長の秘密」(6月20日配信)が、アマゾン社もパワーポイントを禁止していること書いています。

・・・プレゼンテーションで当たり前のように使われているこのパワーポイントをアマゾンでは一切使わないといいます。
代わりに使うのが「プレスリリース」と「6ページメモ」なのだそうです。もちろん、対外的に公表する正式なリリースではありませんが、公表するつもりになって、一読して概要を把握できる情報を書き込みます・・・

・・・「物事を簡潔に説明するパワーポイントは、都合のいいことだけを強調するので人をだますことができる。一方、プレスリリースは自分の考えをきちんと整理し、何を成し遂げたいか理解していなければ書くことができない。プレスリリースを書いたり読んだりすることは優れたアイデアを実現するために非常に有効だ」・・・

私が「庁内での案の説明に、パワーポイントを使うな」と言っているのと、理由は少し違うようですが。
原文をお読みください。

予防接種、副作用のある政策のジレンマ

6月16日の朝日新聞オピニオン欄、「ワクチン後進国」、中山哲夫・北里生命科学研究所特任教授の発言から。

・・・日本のワクチン開発は1980年代まで、それほど遅れてはいませんでした。しかし70年代以降、天然痘ワクチン後の脳炎など、予防接種後の死亡や障害が社会問題になりました。国がその責任や補償をめぐり争ったため、各地で集団訴訟が相次ぎ裁判は長期化。国に損害賠償を命じた92年の東京高裁判決などで決着したのですが、国は予防接種に消極的になり、ワクチン政策は約20年間止まりました。
多くのメディアが被害者の悲惨な状況を報道したこともあって、子どもにワクチンを受けさせないという考えも広がりました。
ワクチンは国に導入の意思がなければ開発が進みません。政府は開発のみならず、海外から導入することもしませんでした。防げる感染症を防ごうとしなかった厚生行政の責任は重いのです。

欧米では感染症の発生動向を監視し対策を講じるという政府の戦略が明確ですが、日本はその姿勢が貧弱です。例えばおたふく風邪は90年ごろ、ワクチンによる無菌性髄膜炎の副反応が問題となり、自己負担で受ける任意接種になりました。その結果、接種率が下がり、15、16年の2年間で少なくとも348人がおたふく風邪による難聴になりました。国の調査ではなく、日本耳鼻咽喉(いんこう)科学会による調査で明らかになったのです。
おたふく風邪ワクチンが定期接種となっていないのは、先進国では日本ぐらいです。ワクチンによる無菌性髄膜炎の発生率は、おたふく風邪による発生率の25分の1という研究報告もあります。ワクチンの効果と副反応についてメディアの理解を深め、市民に正しい知識を普及させるためにも、根拠となるデータが重要です・・・

6月15日の読売新聞は、解説欄で「子宮頸がんワクチン勧奨中止5年」で、同様の問題を取り上げていました。

副作用を伴うワクチン接種を進めるのか、やめるのか。難しい判断を迫られます。しかし、伝染病のワクチンは、多くの人が接種することで、流行を防ぐことができます。個人の自由にするだけでは、目的を達しないのです。
この点については、手塚洋輔著『戦後行政の構造とディレンマ-予防接種行政の変遷』(2010年、藤原書店)が詳しい分析をしています。「行政の決断と責任