事実は小説よりも・・・

私は、あまり小説を読みません。もちろん、小説も面白いし、勉強にもなります。しかし、それ以外の分野の本を読むのが、忙しいのです。
もう一つ理由があります。日々の暮らしの方が、小説よりも「面白くスリリング」なのです。毎日仕事をしていると、小説に対して「世の中、そんな甘いものやないで」と言いたくなります。

まず、登場人物の数が違います。小説には、通常は何百人も人が出てきません。出て来たら、ややこしくて、読みにくいです。
それに対し、私もあなたも、毎日大勢の人を相手にしています。しょっちゅう会う人、たまに会う人、初めて会う人。好きな人、波長の合わない人。嫌だけど付き合わなければならない人・・・。

そして、小説は、作者一人の視点で書かれています。推理小説は、途中まで全体構造が分からないように仕組んでありますが。たいがいの小説は、作者が神様のように各登場人物を操って、筋書を進めます。単線的なのです。
しかし、私たちの日常は、そんな簡単なものではありません。それぞれの人が、自らの欲望と判断で「勝手に」行動します。たくさんの人が、ブラウン運動の微粒子のように、不規則に動き回ります。話の筋に影響を与える人と、関係ない人とがいます。でも、後にならないと、それはわからないのです。ある結果は、後から振り返ると、それまでに無駄な動きを、いっぱいしています。

それぞれの登場人物にとって、未来は見えていないのです。どのような人生を送るか、どんな楽しみと苦しみが待ち受けているか、分かりません。小説は、終わったことを一つの視点から書きます。
現実は複雑で、予測できません。そして、時には残念な、悲しい結末もあります。その逆が小説です。だからこそ、小説が読まれるのでしょうね。

単線とブラウン運動については、別途書きましょう。

原発事故被災地での、農業再開

5月18日の日経新聞夕刊が、福島の原発事故被災地について、「農業再開、4割以上が断念」という記事を載せていました。原文を読んでいただくとして。

福島相双復興推進機構の調査では、避難指示が出た12市町村の農家約千人のうち、再開する予定がない人が4割を超えています。その背景には、
・原発事故による風評が続いていることのほかに、
・既に従事者が高齢化していて、避難後7年がたってさらに高齢化が進んでいること。その後継者がいないこと、があります。

この地域に限らず、農業従事者の高齢化、後継者難が農業を衰退させています。
また、家業としてやっていて、事業としてやっていない。零細農家、狭い農地の問題もあります。
被災地では、
・花など、風評にあわない作物を作ること
・企業と連携し、大規模経営を行う取り組みを行っています。
特に、この手法が有効だと、私は考えています。家業でなく、事業とするのです。それによって、経営の安定、効率化、大規模化、後継者難を克服できます。自家用の米を少量作るなら別ですが。米作を産業とするには、この方法しか将来はないでしょう。被災地では、その転換の良い機会でもあります。

吉田裕著『日本軍兵士』

吉田裕著『日本軍兵士』(2018年、中公新書)が勉強になります。太平洋戦争において、日本軍の兵士がいかに劣悪・過酷な状況にあったかが、数字と証言とで明らかにされています。

戦争を書いたものには、いくつかの分野があります。戦争の推移。戦闘の記録。軍の指導者による戦記もの。戦艦や戦闘機の闘いの記録。戦略や戦闘の成功と失敗。これらの「戦記」でなく、兵士や国民の状況を明らかにした、社会史的なものが増えています。
前者は指導者層から見たものが多く、軍事作戦が主な対象となります。そしてしばしば、負け戦については詳しくは書かれません。その点、戸部良一ほか著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(1984年。1991年、中公文庫に再録)は、日本軍の失敗を分析した名著です。
後者にあっては、沖縄戦、本土での大空襲、原爆被害などが、非戦闘員である国民の悲劇を明らかにしています。戦争では、政治指導者や軍人は功績を求め、兵士や国民は過酷な状況に追い込まれます。政治や軍事的観点から見ていると、戦争の本質を見失います。

それらに対し、この本は、勇ましいかけ声の下で、十分な食料も与えられず、医療や衣服なども不十分なままで死んでいく兵士の実態を、明らかにしています。栄養失調や伝染病だけでなく、精神を病む兵士が続出します。また、足手まといになる傷病兵を、自殺に追い込んだり殺害します。

客観的事実に基づかない精神主義、無謀な突撃、長期戦を想定していない戦略、食糧を補給せず「現地徴発」という名の略奪・・・。これらの戦争指導の下で、多くの兵士がそして一般民が、犠牲になるのです。
読んでいて、気分が暗くなります。戦争映画や漫画が、いかに一面的に描いているか。勝者の立場から見ていると、敗者や被害者の立場を忘れてしまうことがよくわかります。もちろん、映画や漫画は娯楽であり、楽しくなるように描くのでしょうが。そのようなものだけを見ていると、戦争の実態を見失います。

新書版という軽い形の書物ですが、内容はとても重いです。戦争を学ぶ際の、入門書の一つだと思います。

西尾勝先生、分権改革の整理

今日は、午前中に都内である勉強会に参加した後(これはこれで実り多い勉強会だったのですが)、筑波大学まで講演会を聞きに行ってきました。日本学士院主催、西尾勝先生の講演「地方分権改革を目指す二つの路線」です。
分権改革から、10年以上が経ちました。その過程に参画された西尾先生が、現時点でどのように分析整理されるか、興味がありました。いつもながら、切れ味良い説明で、勉強になりました。
司会が村松岐夫先生で、東京と京都の行政学の二大巨頭がおそろいです。

会場では、西尾先生と村松岐夫先生のほか、塩野宏先生にも、久しぶりにご挨拶することができました。
私は、東大法学部で、西尾先生に行政学を、塩野先生に行政法を学びました。当時20歳だった私は、先生方を見て、「遠くの山」「とても登ることのできない、絶壁の高山」と思いました。当時、西尾先生は37歳、塩野先生は44歳でした。
自分がその年齢になった時に、自らの未熟さが恥ずかしかったです。私は37歳の時は自治大臣秘書官、44歳の時は富山県総務部長を終えて、内閣直属の省庁改革本部で参事官(課長級)をしていました。
本人は若いと思っていましたが、学生や若手公務員から見たら、「おじさん」だったのでしょうね(苦笑)。さらに、今は事務次官を終えた63歳。学生からは、父親より年寄りの「爺さん」です。

村松先生には、東日本大震災の対応と復興について、社会科学の学界を挙げて、分析をしていただきました。「東日本大震災学術調査」。ありがとうございます。充実した土曜日でした。

慶應大学、公共政策論第6回目

公共政策論も、第6回目。
今日は、藤沢烈さんに来ていただき、NPOの概要と実践を、話してもらいました。このような内容では、日本で屈指の講師でしょう。話の内容も、すばらしかったです。
若いので(失礼。そんなに若くはないのですが。私に比べれば、はるかに学生に近いです)、学生との間合いも近かったと思います。
質問もたくさん出て、活発な議論が交わされました。

ちょうど、昨日の日経新聞夕刊コラムに「NPOの活躍」を書いたところでした。
烈さん、ありがとうございました。