桂離宮、修学院離宮

この連休に、桂離宮修学院離宮に行ってきました。キョーコさんが申し込んだ参観申し込みに、当選したのです(いろいろと運の良い人です)。

二か所とも、一度は見てみたいと思っていました。日本の伝統的な美を代表する、庭園と建築です。見応えがあります。天気も良く、新緑もきれいでした。
職員による案内と解説がつき、よくわかりました。私の解説より、見学用の案内ビデオや、ウィキペディアの解説「桂離宮」「修学院離宮」をご覧ください。
よく残ったものです。木造の建築物と植え込みのお庭。保存と維持には、労力と費用がかかるでしょうが、後世に伝えたいものです。
修学院離宮の田んぼは、景観のために重要です。農地解放でいったん小作者に渡され、再度、買い上げたそうです。そして、耕作を依頼し、収穫物もその人たちの物になります。

さらに、久しぶりに京都御苑、京都御所にも。こちらは事前申し込み不要。大勢の人、特に外国の方で賑わっていました。
地元の人に教えてもらって、御苑にある閑院宮邸跡拾翠亭にも行ってきました。このような施設があるとは、知りませんでした。
御所の西にある、とらやで、季節のちまきと柏餅を買って、日本の休日は終わりました。

連休中もお仕事だった、サービス業、病院、交通、警察、消防の方々には、いつものことですが、感謝します。
お休みだった勤め人の方々は、明日から仕事に頑張りましょう。

異論の統一、国会の役割

朝日新聞、5月6日の社説は「エネルギー計画 この議論で決めるのか」です。

・・・経済産業省が、今年夏に改定する「エネルギー基本計画」の骨子案を審議会に示した。国内外で逆風が強まる原発と石炭火力発電を基幹電源と位置づけるなど、4年前に決めた現行計画をほぼ踏襲する内容だ・・・
・・・国民の声に耳を傾けるプロセスも軽んじられている。
経産省は、ネットなどで受け付ける「意見箱」を設けた。原発の賛否は分かれ、再エネは大幅拡大を求める声が目立つが、そのまま印字した分厚い紙を審議会に配るだけで、議論の材料になっていない。エネルギー分野のNPOや消費者団体から、国民各層との対話の場を求める声も相次いだが、黙殺された・・・
・・・どんなエネルギーをどれだけ使うのか。望ましい方向に変えるには、個々の消費者や企業に適切な行動を促すことが欠かせないのに、こんなやり方で社会の理解が進むだろうか。
今からでも遅くない。市民やさまざまな団体、幅広い知見を持つ専門家らと意見交換する場を設け、活発な議論につなげるべきだ。重要な政策を鍛え直す機会を逃してはならない・・・

原発については、国民の間で意見が分かれています。今後のエネルギー政策をどうするのか、安定供給、安全、環境保全などの観点で、これが正しい唯一の答というものはないでしょう。しかし、どれかに決めなければならない。その際にどのような手順で決めるか。それは、国会です。国民の間にある異論を集約する機能と責任は、国会にあります。

この社説では、経産省、それも審議会が決めるかのように読めます。
かつて、審議会は、国民の意見を聞く、有識者の意見を聞く、関係者の意見を聞く場として活用されました。しかし、そのお膳立てを官僚がすること、結論もあらかじめ決められているのではないかという批判がありました。「官僚の隠れ蓑」とも言われました。
2001年の省庁改革の際も、官僚主導から政治主導に変える一つとして、審議会の数や役割の見直しをしました(方針は決まっていて、その実施が私の役割でした。「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』(良書普及会、2001年2月号、7月号にまとめておきました)。

エネルギー政策や原発のありようが重要政策なら、経産省や審議会に任せるのではなく、それらの議論も踏まえ、国会で議論すべきことでしょう。
案の提示とその長所短所の説明は、官僚の役割です。しかし、異論がある時に、結論を出すのは、国会です。
国民の声を聞く、国民の声を反映させるのは、審議会ではなく、国会です。

大型連休

大型連休も、あと一日。天気の急変したところもありましたが、おおむね恵まれたのではないでしょうか。
行楽、運動、読書、勉強、家族との時間など、皆さん、有意義に過ごしておられるのでしょう。

私も、奈良の両親に顔を見せた後、いくつかのところを見てきました。
飛鳥資料館で開かれている「あすかの原風景」も、見ることができました。昭和30年頃の明日香村の写真や、明治の頃の古地図です。
正確には、明日香村は昭和31年に合併したので、それまでは、高市村、飛鳥村、阪合村です。私が生まれたのは昭和30年、当時の高市村です。

子供の頃の近所の風景があって、懐かしかったです。石舞台古墳の石の上にも、小学生たちが乗っていました。今は禁止されていますが、私たちも格好の遊び場でした。弟と一緒に見て、「こんなのあったなあ」と二人の記憶をたどりました。もう60年も前の話です。
古地図には旧村(今の大字)の代表(総代)が署名しています。私のひい爺さんの名前もありました。

塩野七生さん、この頃の官僚

塩野七生さんは、しばしばハッとするような、分析をされます。食を巡るエッセイに、次のような文章があります。『想いの奇跡』(2018年、新潮文庫に再録)p131「イタリアを旅する」。この文章は、2008年に書かれたものです。

・・・一昔前は、高級官僚にも政治家並みの健啖家が多かった。政治家は始終人と会っているためか食欲の旺盛な人が多いが、官僚も政治家同様に健啖家であったのだ。それがこのごろでは、なぜか食の細い人が多くなった。それに比例して、仕事もできない人も多くなった気がする。
昨今の官僚タタキも、仕事ができるがゆえに権勢もある官僚だからタタくのではなく、真の力がないために既得権益を守ることしか頭にない官僚に、国民が愛想をつかしたからではないかと思っている。こんなへっぴり腰の集団に自分たちの運命を左右されたのではたまったものではないとは、私だって感じているのだから・・・

塩野さんの眼力が素晴らしいとともに、イタリアから見ていると、日本にいるより、日本が見えるということでしょうか。

公文書館の将来

公文書館に行って、考えました。多くの人は、公文書や文書と聞くと、紙の書類を思い浮かべるでしょう。ハンムラビ法典やロゼッタストーンのように、石に刻まれた文書もありますが。

公文書の電子化が進んでいます。まずは、紙の文書を電子化しています。次に来るのは、文書そのものが、電子媒体でつくられる時代です。すると、紙はありません。
利用者が「公文書館に行って、お目当ての書類を申請して、書類を出してもらう」という風景はなくなり、自宅でパソコンで検索し、お目当ての書類をダウンロードすることになるのでしょう。
公文書館も、古い書類が棚に並んでいるという風景でなく、コンピュータが静かに動いている風景になるのでしょうね。