新幹線の車窓から

桜前線が急いで日本列島を北上しています。福島でも、浜通と中通りでは、ソメイヨシノは過ぎましたが、枝垂れ桜はきれいです。三春の滝桜は有名ですが、それ以外にも枝垂れ桜がたくさんあります。将来、第二第三の滝桜になるのでしょうか。
桜の次は、若葉がきれいです。あの美しい黄緑色は、絵の具で表現するのは難しいでしょうね。

大震災の仕事について、東北新幹線に乗ることが増えました。また、沿岸部の被災地に行くには、車で山を越えます。その窓から、野山の季節の移り変わりを見ることができます。
この歳になって、しょっちゅう移動することはしんどい仕事ですが。窓から見える風景が、季節を教えてくれ、そして心を和ませてくれます。東京で暮らしていては、味わえないことです。
乾いた茶色だった野山が、ピンク色、そして鮮やかな緑に染まっていきます。田んぼでは田おこしが進み、水も張られ始めました。
荒川を渡る際に見えていた富士山は、春になって霞んで見えなくなりました。

生産の読書、消費の読書、貯蓄の読書

先日、鎌田浩毅先生の『理科系の読書術』を紹介しました。その中に、「生産の読書と消費の読書」という考え方が書かれています。この分類は わかりやすく、読書をする際の指針、例えば学生に読書法を教える際に有用です。

私も、読書の種類を考えていました。
その一つは、「義務としての読書」と「楽しみの読書」という分類です。
学校の授業のためや仕事のために読むことは、義務としての読書です。嫌であっても、読まなければなりません。それに対して、楽しみとしての読書は、誰に命令されるのでもなく、好きで読むものです。
義務としての読書にも楽しいものもありますが、しばしば嫌々ながら読まなければなりません。そして、期限が決まっていない楽しみの読書の方が、早く読めるのです。試験の前の晩に、関係ない小説を読みたくなるとか。あなたも経験があるでしょう。

もう一つは、鎌田先生の「生産の読書と消費の読書」の二分類と共通するのですが、少し改変します。生産の読書と消費の読書のほかに、貯蓄の読書を加え、3分類します。
消費の読書を、「消費(娯楽)の読書」と「貯蓄の読書」とに分類します。
貯蓄の読書は、今すぐに役に立つものではありませんが、将来、役に立つ読書です。教養としての読書は、これに該当します。新書などの解説書は、これに入ります。
また、漫画や小説は多くの場合は娯楽であり、消費の読書です。しかし、漫画や小説で、いろんなことを学ぶ場合があります。それが後で役に立つ場合は、ここに言う「貯蓄の読書」です。
生産の読書との違いは、今持っているある目的のための読書と、直ちに立ちませんが将来役に立つ読書との違いです。
鎌田先生の分類では、貯蓄の読書は「消費の読書」に含まれているようですが、独立させた方が、学生にはわかりやすいと思います。

なお、生産の読書は、授業のための学習やレポート作成のための読書が主なものですが、これらのほかに「実用の読書」を加えることも可能です。それは、ハウツー本だったり旅行案内、お料理の本です。生活にすぐに役立つ読書です。

本を買うときに、この分類をします。読みたい本や読まなければならない本を、このように頭の中で分類しています。皆さんもそうでしょう。
さらに私は、時には、これを1枚の紙に書き出します。見える化です。もっとも、本屋に行っては気になる本を買うので、整理はしきれません。当面読む本だけを書き出しています。
厳密な区分は困難ですが、このように考えると、読み方も目的に応じて変えることができます。しっかりと読み込むのか、あらすじを追うだけとか、というようにです。

「明るい公務員講座 仕事の達人編」では、読む本を3つに分類して説明しました(108ページ)。「仕事に関すること」「公務員として知っておきたい社会や地域の動向」「趣味」の3つです。生産の読書、貯蓄の読書、消費の読書の3分類に、ほぼ相当します。(4月16日追記)

福島県、イノベーションコースト構想

今日は、福島県浪江町に、棚塩(たなしお)産業団地起工式に行ってきました(NHKニュース)。
浪江町の北東部、小高い丘に産業団地を作る計画です。この土地は、東北電力が原子力発電所を作る予定で買収したものです。建設計画を取りやめた後、町に寄付されました。
ここを、県と経産省が中心となって進めている「イノベーションコースト構想」の一つの拠点とします。大規模な水素製造拠点、ロボット(ドローン)テスト用の滑走路などを作ります。

この地域の主要産業であった、原子力発電所がなくなり、それに代わる産業を作る必要があります。従来の地場産業や商業に戻ってきてもらう取り組み(福島相双復興推進機構)とともに、新しい産業を育てることにも取り組んでいます。

新年度の本屋さん

今日土曜日は、午後から散歩を兼ねて、新宿紀伊國屋まで歩いて行ってきました。約5キロメートル、1時間です。
いや~、いつもにまして混んでいました。メモを片手に棚を探している人、友人たちと探している人が目立ちます。
店員さんと、「新学期が始まって、学生さんが本を探しに来ているのですかね」「そのようです」と会話しました。良いことですね。

いくつか考えているテーマがあり、それとなく本棚を眺めていると、参考になりそうな本がいくつも見つかりました。それらの本は、これまでにも目にしているのですが、関心がないと「存在しない」と同じですね。
さてさて、この買い込んだ本は、どれくらい読み終えるのでしょうか。まあ、ヒントをもらえれば、それで十分なのですが。
ほかにもいくつも読みたい本があったのですが、「多分読まないだろう」と思い直して、本棚に返しました。

週末、天気が良ければ、運動不足解消のために、新宿まで歩いて行くようにしています。紀伊國屋とともに、新宿駅で月曜日の新幹線の切符を取るためです。
ウエッブで予約してあるので、発券します。月曜の朝に慌てないように、週末に取りに行きます。近くの高円寺駅でも良いのですが、健康のために。
最近は往復10キロを歩くこともあるのですが、今日は片道で断念。

教師を支える仕組みが必要

4月5日の朝日新聞オピニオン欄、宇佐美真さんの「追い込まれ孤立化 教師を支える仕組み必要」から。
・・・教師がこうした状況に追い込まれるのは、何も山行に限られない。クラス経営や授業がうまく行かず、孤立することがある。状況が悪化すれば、その教師の能力が足りないとみなされ、担任を外されることもあり、それがまた、無力感や孤立感を強め、状況をさらに悪化させる。
精神的な病気を抱えて入院し、甚だしい場合は退職に追い込まれることさえある。最近、教師の仕事が多忙で、「ブラック」だと言われることがよくあるが、こうした状況の放置こそ深刻な問題だと思う。
教師は教員免許を持ち、ひとりで何でもやれる、という自負を持っている。それで同僚が互いに意見を言いにくいこともある。教師の能力の評価も、あくまで個人としてどうなのか、を問われる傾向がある。
しかし教育は、教師が個人で立ち向かうには限界がある。しかも今は学校間の競争の拡大、有名大学への進学競争、保護者や地域への対応、部活動や進路指導など、教師がやるべき仕事は多い。徹底したチームワークで問題解決に当たり、教師を孤立させず、支援し合っていくような仕組みが必要だと思う・・・

大部屋で仕事をする、その過程で仕事の仕方を覚える会社員や公務員と違い、教室という「個室」で仕事をする教員は、大変だと思います。しかも大学卒業後直ちに、教室に立つのですから。
特に勉強を教えることのほかに、じっと座って話を聞くことができない子供、いじめ、学級崩壊、モンスターペアレンツなどへの対応は、どの程度教えてもらっているのでしょうか。