「わたし」とは何か

先日紹介した、加藤秀俊先生の『社会学』第6章「自我」に、「ラッキョウの皮」という項があります。p161

人は他者との関係において、さまざまな役割を使い分けます。子供を相手にする時は親であり、老親の相手をする時は子供です。妻の前では夫であり、会社では社員です。それも、部下の上司であり、上司の部下です。店頭に立つと店員であり、お店に行くと客になります。国民として投票に行きと、さまざまな役割があります。その度に、その役割にふさわしい演技をします。

加藤先生は、それをラッキョウの皮に例えます。他者との関係で「わたし」は存在する。「じぶんさがし」と言うが、それは、ラッキョウの皮を1枚1枚剥がしていくことである。最後に何が残るか。何も残らない。
アイデンティティというものがあるとすると、ラッキョウの皮の最後の1枚ではないか。「ほんとうのじぶん」は存在していないのではないか。

厳しいそして冷たい言い方ですが、先生のおっしゃるとおり「自分探し」をしても、何も出てこないでしょう。
オギャアと生まれた赤ん坊が、親に包まれて育ち、友達との付き合い、学校生活などを通して、大人になります。それは、原野で一人で育つものではありません。私たちは社会的動物であり、つねに他者との関係の中で生きています。
では、自分はないのか。「自分探し」ではなく、「自分つくり」だと思います。自我のない赤ん坊が、ラッキョウの皮を1枚1枚増やしていくのが、人生です。皮を剥いていくと、赤ん坊の自分が出てくるだけで、「じぶんらしさ」は出て来ません。

経験豊富な人は、その枚数が多いのでしょう。ある役割をうまくこなす(演じる)ことができる人は、皮の1枚1枚が大きく分厚いのでしょう。
痩せたたラッキョウになるのか、肥えたタマネギになるのか。干からびたタマネギになるのか、つややかなタマネギになるのか。
それぞれの局面での立ち居振る舞い、努力の過程、その結果が「わたし」であり、「わたしらしさ」です。私はそう考えています。

江戸時代の授業方法

国立公文書館の展示「江戸幕府最後の闘い」を見て、いろいろと勉強になったのですが、その一つに、江戸時代の授業方法があります。
江戸後期には、幕府の昌平坂学問所のほか、各藩の藩校や私塾がたくさんできます。そこでは、素読、講釈、会読の3つの方法で、教えたのだそうです。「図録」p12。
素読は、ご存じの通り、意味内容を教えず、ただ声を上げて丸暗記します。「しのたまわく・・・」でしょう。これは、7歳~15歳くらいの初学者が対象です。
次に、講釈に進みます。先生が生徒たちの前で、書物の中の1章、1節について内容を説明する一斉授業です。これは、日本の小中学校の古典的授業風景ですね。

興味深いのは、会読です。素読を終了した程度の学力を持つ者たちが集まって、ある書物について問題点を出したり、意見を出したりして集団研究をする、共同学習です。
会読には、テキストを読む会読と、講ずる輪講があります。輪講は、10人前後の生徒が1グループになり、一人が指定されていたテキストのか所を読み、講義します。そのあと、他の生徒から読み方や質問などが出され、講師はそれに答え、討論を行うのだそうです。今で言う、ゼミに当たりますね。
しかも、身分社会の江戸時代に、輪講では参加者の身分にとらわれず、平等な関係に立ちます。また、参加者が自発的に集会をするという、結社の性格を持っていました。自主ゼミです。この項続く。

『文化史とは何か』

ピーター・バーク著『文化史とは何か』(邦訳改訂版2010年、法政大学出版局)を読み終えました。先日紹介した、長谷川貴彦著『現代歴史学への展望』に触発されてです。
欧米の歴史学(すなわち、ほぼ世界の歴史学の主流)、特に文化史が、どのように変化してきたかが、よくわかりました。
バークは、次のように、その変遷を整理します。
古典的文化史(ブルクハルトやホイジンガ)、社会学(ヴェーバー)から美術史(象徴やゴシック建築研究)へ、社会と文化への関心、民衆の発見。

エリート(芸術)文化研究から出発した文化史が、社会学を踏まえ、民衆を含めた文化史(時代史)へと変化したと、私は理解しました。
そのような視点からの、日本史、日本社会史、精神史、文化史は、書かれないでしょうか。イギリス社会史は、いくつか邦訳があります。

国立公文書館、春の特別展

大型連休が始まりました。東京は良い天気です。行き先を決めておられない方に、一つ良い場所をお教えします。

先日、国立公文書館の特別展「江戸幕府、最後の闘い ―幕末の「文武」改革―」を見てきました。見応えがあります。へえ、こんな文書が残っているのだと。幕府役人の人事カードとも言える書類なども。江戸城多聞櫓に残っていたのです。
幕末の知識があれば、より興味深く見ることができます。また、図録を見ると、よくわかります。5月6日まで、無料です。

公文書館からは、江戸城(皇居)の壮大な石垣を見ることができます。そのあと、皇居東御苑を散策するのも良いですよ。江戸城多聞櫓の一つが残っていて、公開されています。三の丸尚蔵館では、それに続く時代の展覧会をやっています。こちらも無料です。

加藤秀俊著『社会学』

加藤秀俊先生が『社会学 わたしと世間』(2018年、中公新書)を出されました。先生は1930年のお生まれ。88歳になられるのですね。この本は、先生の社会学の集大成、そのエッセンスでしょう。  表題の「わたし」には、普通名詞の「私」と、加藤先生の「私」の、二つの意味があるようです。

「社会を世間と言い換えれば、よくわかる。社会学とは世間を対象とした学問、世間話の延長である」と主張されます。しかし、学問としては、それは都合が悪いのでしょうね。専門用語で、素人がわからない話をしないと、ありがたみが薄れるのです。そして、欧米から輸入したという権威付けも。多くの学問はそれで良いのでしょうが。私たちが生きて行くには、社会学・世間学を知っている方が、苦労をしません。そこが、ほかの学問との違いです。すると、平易な言葉で書かれている方がよいのです。

私は学生時代、授業の社会学が、今ひとつ理解できませんでした。清水幾太郎さんの本で、社会学とはこんなものかと理解しました。そして、加藤秀俊先生の本を読んで、社会とはこんなものだと理解しました。また、京都大学人文研究所の先生方の本を読みました。これらは、すごくわかりやすかったです。
大学の先生の本=西欧の輸入に対し、これらの本は、日本社会を日本語で分析していたのです。だから、加藤先生や人文研の本を「社会学」とは思わなかったのです。加藤先生が書かれているように、難しい専門用語で(西欧の社会を)語ることが、大学の社会学だったのです。
その傾向は、未だに続いているようです。「思想」というと、ソクラテスから現代フランス哲学まで、西欧の思想が解説されています。日本人、それも庶民の思想は出てきません。困ったものです。ここは、歴史学において、政治史や経済史から、庶民を含めた社会史や文化史に転換したことが思い浮かびます。エリートたちの思想とともに、庶民の思想を含めて、国民の思想と言うべきでしょう。これについては、別途書こうと思っています。

この本は入門書ですが、社会学の基本が整理されています。集団、コミュニケーション、組織、行動、自我、方法です。それぞれが、私たちの日常生活、現代の生活に即して解説されています。わかりやすいし面白いです。このうち、コミュニケーションだけがカタカナです。何かよい大和言葉はないのでしょうか。

ところで、加藤先生の本になじみのない人は、先生の文章に違和感を感じるところがあるでしょう。形容詞がひらがななのです。