表題を見ると、「どんな難しいことか」と思われた方もおられるでしょう。今日書くのは、もっと身近な話題です。
小さなことながら、私たちは毎日、決断を迫られています。
風邪気味で熱があるとき、職場に出勤するかどうか。体調の悪さと、その日の仕事の重要性とを比較しながら、判断するでしょう。
夜の飲み会が予定されているのに、夕方急に急ぎの仕事が入ったとき。飲み会を優先するのか、仕事を優先するのか。
同じ時間に、Aさんに誘われた会合と、Bさんの会合が、ぶつかったとき。どちらを断るか。
それぞれに、自分で判断しなければなりません。
親族が死んだときに、どの程度休みを取るかは、規則で休暇の基準が決まっています。これは、一つの標準があるので、それに従うかどうかになります。難しく考えないなら、規定通りに休めば良いです。
東京駅から新宿の会合場所まで、たくさんある経路のうち、どれを選べば早く着くか。これは、コンピュータが選んでくれます。しかし、上に書いたような問題は、どちらを優先するか、客観的な科学的な物差しがないのです。
それが「比較不能なものの選択」です。これは、高等数学でも、AIでも解けません。長谷部恭男先生に『比較不能な価値の迷路―リベラル・デモクラシーの憲法理論』(2000年、東大出版会)という著書があります。
コンピュータが解けない問題にも、2種類あります。
朝食を、ご飯にするかパンにするか。これは、気分で決めても問題ないでしょう。結婚相手に、Cさんを選ぶかDさんを選ぶか。これは大きな問題で、あなたの人生は大きく変わります。しかし、好き嫌いで選んでも、あなたが納得すれば良いことです。
しかし、Aさんの会を優先するのか、Bさんの会を優先するのかの場合、どちらにどのように説明して断るのか。あなたのこれからの、職場人生を左右するかもしれません(笑い)。結婚相手を選ぶより、難しい判断なのです。
この2つの差は、結果が本人限りですむ問題と、周りの人たちとの関係に影響を及ぼす問題との違いです。そして、選ぶより断る方が難しいのです。