1月18日の朝日新聞文化欄、石川九楊さんの「縦書きを失えば文化の危機」から。
・・・パソコンの普及で憂慮するのは、縦書きが廃れていくことです。縦書きの連続筆記体として誕生した「ひらがな」は本来、一文字ずつ切り離して書くようにはできていません。「あ め が ふ る」と「あめ が ふる」を比べてください。前者が生硬なのは一目瞭然でしょう。
英文の筆記体を縦に書くことができないように、ひらがなや漢字かな交じり文を横に書くことは無理がある。縦書きを失うと、日本人の思考にもぎこちなさが生じます。
文化は言葉や文字と共にあります。漢字を中心とした縦書きの東アジアと横書きの西洋の言葉は根本が違う。日本の近代化の過程で、それらを同じと勘違いしたことが今の文化的危機を招きました。
声の西欧語は音楽を、文学の東アジア語は書を発達させた。書は東アジアの基幹芸術なのです・・・
と、このページでは横書きで引用していますが、原文は縦書きです。
これに関連して、日本語ワープロソフトを思い出しました。私は「一太郎」を使っています。「ワード」より使いやすいのです。ところが、ワードとの競争に負けて、多くの人や職場が「ワード」を使っています。「一太郎」で原稿を送ると、「開けないので、送り直してください」と返事が来ることがあります。
かつて、文筆を生業にしている人の多くが、一太郎を使っていると、聞いたことがあります。日本語を書いていると、一太郎の方が使いやすいのです。その後、なぜなのかを考えていました。結論は、一太郎は縦書き仕様で、ワードは横書き仕様だということです。
例えば、次のページに移る際に、一太郎は画面を右から左へ開いていきます。ワードは、下へ開いていきます。縦書きで、1ページ目の最後の行と、2ページ目の最初の行を見るときに、ワードだと1ページごと画面が移るので、続けて見ることができないのです。
他方、一太郎は、横書きの場合はページを下へと開いてくれるので、続けて見ることができます。
日本の会社が日本語向けに作った一太郎と、アメリカの会社が作ったワードとの違いだと思います。