日経新聞連載「平成の30年」12月16日は、「不良債権の重荷 崩れた大手銀行 政官の不作為、混乱に拍車」でした。1998年の大手金融機関の破綻を取り上げています。ここでは、政策の失敗(実施時期、優先順位)という観点から、紹介します。
・・・96年11月、当時の橋本龍太郎首相は金融ビッグバン構想を発表した。大規模な規制緩和を通じ、東京市場をニューヨーク、ロンドンに匹敵する市場に成長させる構想だ。これに先立つ6月、住宅金融専門会社(住専)問題が決着し、国内景気は回復軌道に乗り始めていた。1月に首相に就任して以来、後ろ向き案件への対応に追われた橋本氏は攻めの独自色を出したいと考えた。そこで大蔵省(現・財務省)にアイデアを求め、同省証券局が中心となって急きょ、構想をまとめ上げた。
公的資金を投入する住専処理を巡り、国民から激しい批判を浴びた大蔵省。金融ビッグバン構想は新時代の幕開けを印象付け、同省自身も変身する起爆剤のはずだった。
だが、住専処理の比ではない大きな判断ミスを犯していた。大手銀行は90年代半ば、赤字決算で不良債権処理にめどをつけたつもりだったが、97年の消費税率引き上げなどで景気は再び後退局面に入り、地価の下落も止まらない。不良債権は再び膨らんだ・・・
・・・「金融不安が起きたときの危機管理の仕組みが全くできていなかったのが致命的だった」。金融論が専門の鹿野嘉昭・同志社大学教授はこう総括する。96年時点で政府がまず取り組むべきだったのはビッグバンではなく、金融機関の破綻処理、公的資金の注入といった危機管理の制度を整えるのが先決だったという。
不良債権の実態をつかむ明確な物差しを持たなかった政と官には、金融機関に迫る危機を想定できなかった。公的資金を伴う政策には踏み込まずに済むと判断し、政策の優先順位を見誤ったといえる・・・