11月1日の朝日新聞オピニオン欄「平成の政治とは」、佐藤俊樹先生の発言から。
・・・平成は、グローバル化という潮流のなかで日本の「総中流社会」が崩壊し、格差が広がっていった時代です。その変化に対応しながら、より公平な社会をつくっていく。それがつねに政治の焦点になってきました。
小泉政権の郵政改革、マニフェスト選挙で政権交代を実現した民主党……。平成の政治の基本潮流は「改革路線」でした。保守・革新の枠を超えて、政党の崩壊や分裂を繰り返しながら、改革の旗印が消えることはありませんでした。ところが、今回の衆院選ではその旗手に名乗りをあげた希望と維新が票を伸ばせなかった。「改革の時代」の終わりではないでしょうか・・・
・・・背景にあるのは有権者の改革疲れだと思います。平成の初頭、日本は米国を脅かす経済大国でしたが、GDPは伸び悩み、今では中国に抜かれました。苦しい改革を重ねてきたのに、人々の暮らし向きはさほど変わっていません。
現在の日本経済は世界経済の動向に大きく左右されます。政府が打ち出す政策の効果はもともと限られている。さらに、以前は低成長や少子高齢化は日本特有の課題だとされていましたが、最近は多くの国で同じ状態になりつつある。横並び意識が強い日本人には危機感を感じにくい状況です。
安倍政権の安定ぶりにはそんな巡り合わせもあったように思います。「改革」の旗印がまだ説得力を持ちつつも、次第に政治への期待が低下していった・・・
いつもながら、鋭い指摘です。毎日の出来事を追いかけているだけでは、見えてこない視点です。
私もこの説には同意しますが、少し違う見方もしています。
一つには、改革という言葉がインフレ状態になり、あまりにも安易に=中身を伴わずに使われています。それに、国民が気がついているのです。××革命という言葉も、同様です。
二つ目には、改革によってどのような成果が出ているかを、政府も識者も十分に説明していないことです。国民には、改革でどのようなよいことが実現したかが、いまいち分かりません。改革は常に未来形であって、過去形では認識されていないのです。これも、政治家に幾分かの責任があります。未来に向かって「改革」を訴えますが、その結果について語りません。
三つ目に、このことにも関連しますが、改革さらに革命には痛みを伴います。既得権益、既存勢力を削減するのですから。しかし、痛みについては、多くが語られません。「敵」を明確にしてそれと闘うなら、それだけの覚悟が必要であり、「血」も流れます。かつては、国鉄と労働組合、郵政と郵政族、官僚などが「敵」とされました。