河北新報フォーラム「被災地と企業」詳報

27日付けの河北新報に、20日に行った公開フォーラム「トモノミクス 被災地と企業」の詳報が載りました。
私の基調講演も、簡潔にまとめてくださっています。見出しは「公を支える民間拡大」「つなげる機能重要」です。

住みよい地域社会をつくるのは、行政だけでなく、企業もNPOも大きな役割があることが、この大震災を通して理解されました。社会は、公私の二元それも二つが対立するものではなく、官共私の三つが協力することで成り立っています。
このような企画を通じて、世間に広がると良いですね。

上司との飲酒75%がイヤ

日経新聞6月20日夕刊のくらし欄に、「上司との飲酒75%がイヤ」という記事が載っていました。
民間企業が、2015年に全国の20~59歳の中間管理職と一般社員、それぞれ300人を対象に実施したアンケートです。このアンケートは、お菓子についての調査ですが、あわせて上司との飲酒についても聞いたようです。
それによると、「仕事帰りに部下とお酒を飲みに行きたいと思うか」という質問には、上司の49%が「行きたいと思う」、51%が「行きたいと思わない」と答えています。
部下の方は、「上司と飲みに行きたい」と答えたのが25%、「行きたいと思わない」が75%です。

権力への制約と緊張関係

朝日新聞6月22日のオピニオン欄、「危うき統治の時代」、中北浩爾・一橋大教授の発言から。
・・・問題は、政治改革が前提条件としていた首相の権力への制約が失われてしまったことだと思います。その一つは、二大政党の片翼を担う政権担当可能な野党の存在です。次の総選挙で政権交代が起きるかもしれないという緊張感があれば、官邸や与党も自制せざるを得ません。
もう一つは、総選挙の際のマニフェスト(政権公約)です。数値目標や実施時期を明記したマニフェストに基づいて政治を行うことは現実性を欠いていましたが、そこには政権や与党に民意の縛りをかけるという意味がありました。民主党がマニフェストに基づく政権運営に失敗し、有権者の失望を買い、以上の二つの制約条件が失われた結果が、現在の首相の赤裸々な権力行使だといえます・・・

原文をお読みください。

個人営業の忙しさ

先日の土曜日6月24日に、このページの加筆を怠りました。知人から「何かあったのですか」と、心配して質問がありました。元気にしているのですが、講義の準備やら連載の執筆に没頭していて、ホームページの加筆を忘れていたのです。

平日はもちろん、休日も忙しいです。連載(明るい公務員講座)と慶應大学での2コマの講義で、毎週3つの締めきりに追われています。平日は本業があるので、どうしても休日に執筆や準備をせざるを得ません。その点では、現役公務員の時より余裕がありません。とほほ・・。

公務員なり会社員なら、組織で仕事をしています。役割分担もあり、また管理職になると自分で動くこともありますが、部下から上がってくる案件の相談に乗ったり、判断したりという業務が主になります。鳥にたとえると、滑空する時や、枝に止まっていることもあります。
ところが、個人営業は、常に羽ばたいていないといけません。滑空していたり枝に止まっているだけでは、仕事が進まないのです。代わりがいないのです。
「そんなに仕事を引き受けなければ良いのに」と言えば、それまでです。はい。

講義はかつて担当したことがあるのでと、気楽に考えていたのですが。10年近く経つと、地方自治もいろいろと変わっています。かつての主要項目だった、分権、市町村合併、条例論なども、少々古くなりました。そこで、講義ノートを新しくつくらなければなりません。学生に配る資料をそろえることも、結構手間がかかります。
講義の朝には早起きして、予行演習をして、本番に備えています(それでも、話す順番を間違えたりして)。数週間先まで骨格は考えてあるのですが、やはり詳しく準備するのは、1回ごとになります。

この忙しさを乗り切る秘訣は2つ。一つは風邪を引いたり病気をしないこと。もう一つは、平日の隙間時間に、準備をすることです。
と、福島のホテルで書いています。

江藤淳著『アメリカと私』

6月17日の朝日新聞オピニオン欄に、山脇岳志アメリカ総局長が「「アメリカと私」そして日本」を書いておられました。山脇さんは、近く4年余りの任期を終え、東京に帰任されるとのこと。前回の勤務とあわせると、アメリカ生活は7年半になるそうです。
・・・江藤氏が、大学での研究生活の苦悩や喜びを描いた「アメリカと私」(文春文庫)は、今読んでも興味深い。
冒頭は、日本から米国に帰国したばかりの米国人の友人が、江藤氏に漏らした言葉の回想から始まる。
「外国暮しの『安全圏』も一年までだね。一年だとすぐもとの生活に戻れるが、二年いると自分のなかのなにかが確実に変ってしまう」
2年の米国暮らしを終えた江藤氏は、自分の内面も変わったと感じる。「どんな親しい友人ともわかち持てない一部分が、自分のなかに出来てしまったような感覚である」と記す・・・

この記事に触発されて、江藤淳著『アメリカと私』(私が読んだのは、1972年、講談社文庫)を読みました。
若き評論家として名をあげた江藤さんは、1962年、29歳の時に、ロックフェラー財団の研究員となり、1年間プリンストン大学に留学します。そして引き続き、もう1年、教員として講義をもちます。その際に感じたこと、考えたことを綴ったのが、この本です。アメリカに住み、彼我の違いとともに、移民国家アメリカの秘密を体験されます。
なるほどと思うところが、たくさんあります。もっとも、「ここまで深く深刻に考えなければならないのか」と思うこともありますが。1962年は昭和37年で、戦争が終わってまだ17年、東京オリンピックの2年前です。敗戦国と戦勝国、圧倒的経済力の差があった当時では、そう考えざるを得なかったのでしょう。

ところで、この本は、1972年発行です。半世紀近く前の本も、インターネットで古本をすぐに探すことができます。便利なものです。