産業復興の事例集

復興庁が、被災地の産業復興の事例を紹介する冊子「産業復興事例30選 東北発私たちの挑戦」を作りました。
震災後に売上等を回復させている企業(グローイングアップ企業)、過去の事例集に掲載した企業のその後の成長の事例(フォローアップ企業)、震災前後に新規創業、又は新規事業を開始した企業の事例(スタートアップ企業)の合計30社です。参考にしてください。電子版のほか、冊子も余部がありますので、お申し込みください。

見ていただくと、さまざまな商売があり、さまざまな工夫と苦労をしておられます。機械設備の復旧には国費で支援をしたのですが、売り上げを伸ばし事業として継続するのは、経営者の手腕です。
過去に取り上げた企業の、その後も追跡しています。それも含め、各事業所とつながりを持ち続けることは、役所としては結構珍しいことです。補助金なり減税なり申請を待って対応し、その後の見守りはあまりしないのです。しかし、補助金交付の件数と金額は、政策の「出力」アウトプットであっても、政策の「成果」アウトカムではありません。正しい政策なら、補助金なりの成果がどのように出たかを追跡すべきです。
これらの企業には、外からの視察団などを受け入れてもらっていて、ご迷惑もかけているのですが。被災地の産業が復興している実例を世の中に広報するために、ご協力をいただいています。ありがとうございます。

主な著作2

下に並べた著作は古くなっています。
その他の著作は→著作一覧のページ

 

新地方自治入門-行政の現在と未来
(2003年10月、時事通信社

東京大学での講義を、単行本にしたもの。大学だけでなく、地方団体の議員や職員の教科書になっています。
地方自治体は、ナショナル・ミニマムと社会資本整備という課題を、実に良く達成しました。しかし、それらの課題がほぼ達成された今、次なる目標を探しあぐねています。これまでの成果を振り返り、「豊かな社会の政治と行政」に求められていることは何かを考えることで、日本の行政だけでなく政治や社会を分析しています。


地方財政改革論議-地方交付税の将来像
(2002年、出版社ぎょうせい)

地方財政、特に地方交付税の改革論議が高まっています。本書では、最近の地方財政改革論議を検証し、現在取り組んでいる交付税の見直しを解説するとともに、これからの地方交付税像を検討しています。三位一体改革がわかる解説書です。

省庁改革の現場から-なぜ再編は進んだか
(2001年、ぎょうせい)

平成13年1月に省庁改革が実行され、省庁の数は半分に削減されました。私は、この改革を準備するために内閣に設置された「改革本部」に2年半勤務しました。その体験と現場から見た改革をまとめたのが、この本です。

地方交付税・仕組みと機能-地域格差の是正と個性差の支援」1995年、大蔵省印刷局

新著の反応3

新著『明るい公務員講座』に、何人かの人から感想をいただきました。いくつかを紹介します。一部改変してあります。
・2冊買って、1冊は自分用に、もう1冊は職場で回覧しています。
・元いた職場の後輩にも「勉強になるから」と、1冊渡しました。
・読み始めたら、止まらなくなりました。
・大事なことが書いてある個所を折ったら、何十個所も出てきて、本の片方だけ分厚くなりました。
・フルート吹いているメモ用紙、おしゃれですね。
・早速、書類を半封筒で整理することにしました。クリアファイルを使っていたのですが、取り出すのが素早くできなかったのです。半封筒ならすぐに出せますね。
・公務員は天職。私にとって、××(この方の職業)は天職です。
・面白くてためになるので、事務所で5冊買いました。
公務員でない方も、読んでくださっているのですね。拙著の最後に「公務員は天職だ」と公務員へのエールを書いたのですが。公務員でない方は、そこを「自分の仕事は天職だ」と読み替えてくださっています。

ワーク・フォー・東北、2

2月24日に書いた「ワーク・フォー・東北の話」、25日の河北新報が取り上げてくれました。「民間の知恵被災地に 自治体派遣社員ら研修」。
一昨日も書いたのですが、このように派遣された職員たちの研修とともに、受け入れた側の自治体でも、その成果と今後どのように活かすかを評価する反省会をしてほしいものです。

手厚い支援や賠償が自立を妨げる面も

2月25日の朝日新聞別刷りbe「フロントランナー」は、福島県浪江町の、川村博さんです。原発事故で避難指示が出た区域ですが、立ち入りが可能になった土地で花作りをしておられます。
・・・今春、避難指示が解除される予定だ。楽観はしない。「元通りにはならない。町外の人が、浪江に住みたいと思える魅力をつくらないと」。冷静に見る背景には「住民が変わってしまった」と思う、つらい経験があった・・・
・・・育てた野菜から放射能が検出され、憔悴していた2013年。浪江町の数人から、忠告された。
「勝手に戻って農業なんかするな」
当時、町を挙げて、東京電力が払う慰謝料(1人月10万円の賠償金)を増やせと、集団申し立てをしていた。避難指示がいつ解除されるか全く見通しがないのに、復興が進んでいるように東電から見られると、賠償が減らされる、という心配だ。
「復興は遠いなあ」。肩を落とす。その前にも悲しい経験がある。
原発事故から10か月後、福祉の経験を生かし、福島市などにある浪江町民向けの仮設住宅で、避難者を支援するサポートセンターの運営を始めたときだ。
ふるさとでの畑仕事を懐かしんでいた避難者のため、仮設周辺の畑を借りた。1年目は数十人が農作業に参加した。それが2年目になるとパッタリ。「都会の生活に慣れ、昔の暮らしに戻れなくなっていた」
仮設住宅には、全国から多数の支援団体が訪れる。避難者は物資などには困らなくなる。一件良さそうだが、手厚い支援や原発賠償の制度には、自立するきっかけや、ふるさとに戻る意欲をそぐ面もある・・・
原文をお読みください。