今朝の朝日新聞1面トップは、「原発避難、今春4町村3.2万人解除 困難区域なお2.4万人」でした。この記事を読んでいただくとわかりやすいのですが、事故後に11市町村、約8万人に出されていた避難指示は、この春で、約7割が解除されます。
避難指示が継続しているのは、町の多くが帰還困難区域になっている双葉町と大熊町の全域、それに浪江町、富岡町、飯舘村、葛尾村、南相馬市の一部(帰還困難区域)です。
後者の5市町村では、町の中心部は避難指示が解除され、町としての機能を復旧できます。双葉町と大熊町は、町の一部に復興拠点を作って、町の復興の足がかりを作ります。
その結果、避難指示を解除できる区域は、この春にほぼ解除するということです。
原発事故被災地では、新しい段階に入ります。もっとも、避難指示解除は、復興の出発点に立ったと言うことです。津波被災地で例えれば、津波の水が引いたという状態です。記事でも指摘されているように、住民に帰ってもらうために、商店、病院、学校、働く場など、生活に必要な環境を整える必要があります。
月別アーカイブ: 2017年2月
自主避難者の意向調査
原発事故の避難指示区域以外から避難した人、いわゆる「自主避難者」については、これまで住宅を無償で提供してきました。無償提供を終了するので、その後の住まいについて、意向を聞きつつ、次への支援をしています。福島県が戸別訪問をしています。最近の調査結果が公表されました。「避難指示区域以外からの避難者の4月以降の住まいに関する意向」。
それによると、未確定だった人も、順次、次の住まいを決めておられます。未確定は、1万1千世帯のうち、250世帯で約2%です。
これは、津波被災地域での仮設住宅終了でも、よく似た事情があります。窮屈な仮設住宅での生活を続ける人には、それなりの事情があります。
・5年も住んだので、その仮設住宅を離れがたい人。友達もできています。「この歳になって、新しい住宅もねえ」とおっしゃる方もいます。
・高齢になって、判断ができない人。
・すこしでも無料の住宅にいたい人。
などです。それぞれに戸別訪問をし、マンツーマンでの相談に乗って、次の住宅をお世話しています。仙台市も、このような取り組みで、たくさんあった仮設住宅を終了しました。ほかの市町村も、そのような取り組みをしています。
原発事故で避難しておられる方にも、同じように相談に乗って、次の生活を選んでいただくのが良いと思います。すなわち、
・戻れる人には、戻ってもらう。
・「帰還条件がそろうまで待つ」という方には、県内に造った公営住宅で待ってもらう。
・「帰還するのは不安だ」という方には、避難先で定住していただく。
だと思います。
「戻りたくない」という方に、帰還を勧めたり、このまま長期間にわたって「避難者」という分類にしておくのは、よくないことでしょう。その際に、生活について相談に乗ることが重要です。
牛尾治朗さん、次の70年に向けて
2月27日朝日新聞「証言そのとき」は牛尾治朗さんの「脱しがらみ、民から変革」から。
・・・経済団体で様々な役職についたが、一番印象的だったのは2001年から5年半ほどつとめた経済財政諮問会議の民間議員だ。
《官邸主導が旗印の諮問会議は、公共投資10%削減、構造改革特区の導入、郵政民営化など、毎年、大方針を決めていった。ただ、選挙で選ばれていない民間人が政策づくりに直接タッチするやり方に批判も出た。》
それまでの自民党政権は大蔵省(財務省)を中心に水面下で調整し、毎年11月ころにばたばたと大臣折衝で決めるやり方を繰り返していた。与党も族議員を介し地方や農家、商店街、中小企業にカネを配る。民間は党や役所に陳情し、見返りを求める。これは政や官に依存する土壌を生みかねず、事実そうだった。
その仕組みを壊したのだから、反発や批判は当然だ。でもメンバーはみな、ひるまなかった。
諮問会議をさかのぼること約20年前、「土光臨調」で土光さんがこう言っていたのを当時よく思い出した。「(官尊民卑は)官が尊大だからそうなるのではなく、官に取り入ろうとする民の卑しい心が官尊民卑を招くのです」。卑しくなるな、との戒めである。
民間議員としての我々の主張は、物乞いや陳情とは違うんだ。公(おおやけ)は官僚だけのものではなく、まして政治だけがモノを申せるのではない。民も対等に提言し、既得権益を打破、政策決定プロセスを透明にしたから、世論の支持も受けたのだと思う・・・
原文をお読みください。
被災地復興視察
今日は、南相馬市小高区と浪江町を視察してきました。小高区は去年の夏に避難指示が解除されました。徐々に住民が戻ってきています。駅前の商店で聞くと、これまでは復旧の作業員が多く、弁当、パン、カップ麺、お酒、おつまみが売れ筋だったのですが、住民が戻ってきたので野菜や調味料の要望が多くなったのだそうです。なるほど。
小高地区では、この4月から、小、中、高校が再開します。その準備を見に行ったのです。子供を持つ親御さんに安心してもらうため、徹底的な除染と校舎の改修をしています。
浪江町はまだ全町避難中ですが、今日の午前に、町長が3月31日に避難解除することを決断しました。太平洋岸に請戸漁港があります。25日に、避難先(近くの漁港)から26隻の船が帰還しました。ここでも、徐々に復興の動きが進んでいます。
今日は、奈良テレビの取材班が同行してくれました。現場には市長さんも来てくださり、また放射線量を調査する担当者もいて、その様子もカメラが撮っていました。ちょっぴり「ブラタモリ」気分でした。
もっとも、こちらは住民が避難しているという厳しい現実です。しかし、いろんな機会を通じて、復興が進んでいることを関西の人にも知ってもらえると、うれしいです。また、農産物も安全で、観光地も安心できることを知ってもらいたいです。
福島のホテルで、携帯用のパソコンでこの記事を書いています。松島社長にホームページを作り替えてもらって、便利になりました。