日本の革新勢力がリベラルだという誤解

読売新聞8月30日「リベラルとは何か」、井上達夫・東大教授の発言から。
・・・リベラリズムは歴史的に啓蒙と寛容の伝統に根ざす。その哲学的基礎は単なる自由ではなく、「他者に対する公正さ」という意味での正義の理念だと私は考える。自分の政敵に対してもフェアに振る舞うことで、政治社会を暴力的な無秩序の状態ではなく、言論と言論が戦う世界にすることだ。かつての革新が名乗る今のリベラリズムはリベラリズムに背反している。その典型が「護憲派リベラル」だ。
リベラリズムは、対立する諸勢力がフェアな政治的競争のルールを互いに守る姿勢の中に、法の支配や、憲法で権力を統制する立憲主義の基礎を求める。
ところが、護憲派リベラルは、自分たちの特定の安全保障政策を政敵に押しつける道具に立憲主義を利用している。専守防衛ならば自衛隊・日米安保条約は合憲だとする解釈改憲や、違憲だけど容認するというご都合主義に居直っている・・・
・・・9条改正の是非を「リベラル対保守」の対立と結びつけるのは的外れだ。
憲法に盛り込むものは、統治構造と基本的人権の保障だ。一方、非武装中立で行くか、個別的自衛権にとどまるか、集団的自衛権へ行くか、などは安全保障政策の問題であって、特定少数者の人権と関係ない。政策論争の問題だ。
ただし、国民の無責任な好戦的衝動や政治的無関心から、政府が危険な軍事行動に走らないよう、戦力統制規範を憲法に盛り込むべきだ・・・最低限、軍隊の文民統制と、武力行使に対する国会の事前承認は憲法で明定すべきだ。この最低限の戦力統制規範すら現憲法が欠くのは、9条により、戦力が存在しない建前になっているからだ。「9条が戦力を縛っている」は護憲派のうそ。9条のため憲法は戦力統制ができない・・・
佐伯啓思・京大名誉教授の発言から。
・・・日本では戦後、歴史と伝統の一貫性を強調しつつ、現実には日米同盟を中心に国益の実現を目指す保守と、社会主義に共感しながら労働者階級の利益を目指す革新が対立した。自由より社会主義を目指す点で、革新はリベラルとはいえない。米国型リベラルが重視した福祉や平等を現実に実現したのは自民党だ・・・
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アジアの発展に負けた大陸アフリカ、社会的共通資本の重要性

朝日新聞8月27日のオピニオン欄は、シルビー・ブリュネルさん・パリ大学教授の「アフリカのいまと未来」でした。
「アフリカは遅れてきた分、格差も少ないと思っていました」との問に。
・・・実際には、アフリカ諸国は1960年代に独立した際、都市や産業化にばかり関心を抱いて、田舎をほったらかしにしてきたのです。その路線は成功しそうに見えました。アフリカは輝かしい可能性に包まれていたのです。「世界のお荷物」となるのはむしろアジアだと、当時は思われました。
幼児死亡率や平均寿命、1人あたり国民総生産(当時)などの指標を総合した場合、70年代に西アフリカのコートジボワールは韓国と、ナイジェリアはインドネシアと、ほぼ同レベルでした。冷戦の影響から韓国は発展せず、コートジボワールこそ希望が持てると世界銀行などは考えていました。
ただ、その冷戦の最前線にいたことこそが、アジアに発展をもたらしたのです。ソ連や中国と向き合った日米は、資本主義社会の結束を強めようと、韓国や台湾、東南アジア諸国に積極的に投資して発展を促しました。貧困の中にあったアジア各国も上昇への道を学び、労働力を改善し、新興産業国から新興国、先進国へと、わずか1世代の間に成長できたのです。特に韓国は、日本の経験から多くを学びました・・・
・・・民主主義の基本は、一人ひとりが平等な1票を持ち、自由に投票できることです。でも、アフリカでは肌の色や出身地域、性別や家族内の役割などで、自らの地位や行動が決まります。極めて不平等な社会で、51%が49%に勝つ西洋型民主主義の原則をここに適用するには、無理があります。
植民地支配から独立したアフリカ諸国は、民主主義を一度も経験しないまま国家を建設せざるを得ませんでした。その結果、強権的な政治が確立され、メディア支配や野党への脅迫が常態化し、選挙が骨抜きにされました。民主主義の名に値する選挙を実施している国はほとんどありません・・・
・・・アフリカで機能するのは、むしろ「長談義」のシステムでしょう。話し合いを延々と続けながらコンセンサスを形成する政治です。
国内のすべての政党や政治勢力、すべての民族がテーブルを囲んで議論をする。時間の制限を設けず、みんなが受け入れられる結論が出るまで話し合う。これが「長談義」です。選挙とは異なる方法です・・・
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いかにも怪しいメール

今日、携帯電話にメールが届きました。差出人は、見るからに変なアドレスです。表題は「メールアドレスを変更しました」で、文面は「お久しぶりです。また、食事したいですね。返事ください」です。
こんなメールに、返信する人がいるのでしょうか。笑い。直ちに削除しました。私とメールのやりとりをしている誰かの、携帯電話かパソコンが「汚染」されたのでしょうね。
復興庁の私のパソコンには、標的型メールと思われる「怪しいメール」がしばしば来ました。政府機関は狙われているようです。でも、個人携帯電話に来たのは、初めてです。

帰還困難区域の方針を県知事に説明

今日9月1日は、復興大臣他と福島県庁に、帰還困難区域の取り扱い方針の説明に行ってきました。
昨日、官邸で政府方針を決定し、今日は早速、知事に説明に行きました。今後、関係市町村にも説明し、市町村・県・国とで、具体的計画をつくって進めます。

大日本帝国の解体、植民地との関係

朝日新聞8月27日「戦後の原点」テッサ・モーリス=スズキさん「突然の帝国解体、旧植民地と未清算の一因」から。
「多くの日本人にとって、帝国が解体したログイン前の続きという歴史意識は薄いのでは」という問いに。
・・・日本は戦争に敗北した瞬間、それまでに得た支配地域を手放さなければならなくなりました。しかも、それは突然でした。大英帝国の場合、アジアやアフリカで独立運動も起き、植民地支配の終わりは少なくとも数十年をかけて進行するプロセスでした。
本は対照的です。敗戦と同時に突然帝国が終わったことは、旧植民地との間に今日まで未清算の問題が残る一因になりました。
日本では悲惨な敗戦体験もあり、責任意識より被害者意識のほうが支配的になりました。市民レベルでの旧植民地とのつながりが突然断ち切られたことも、双方の歴史認識の隔たりを広げた。日本政府は清算に積極的に取り組まなかったが、冷戦構造にすぐ組み込まれたせいで台湾や韓国の人々が日本を強く批判できなくなった事情もある・・・
これは、あまり取り上げられない論点です。歴史の教科書にも取り上げられることは、少ないでしょう。しかし、日本の政治家やオピニオンリーダー、アジアで活躍する人には、必須の項目です。原文をお読みください。