7月31日の日経新聞「日曜に考える」は「広がる在宅勤務 成功のカギ」でした。日本マイクロソフトの平野拓也社長の発言が、勉強になりました。日本マイクロソフトは、在宅勤務を含め働き方の改革に取り組んでいます。その結果、5年間で残業時間が5%減り、女性の離職率も40%下がったとのことです。そして社員1人あたり売上高は26%向上しています。働き方の改革は、社員の意識改革や職員評価制度の改革につながり、社風の改革になります。
・・・残念ながら欧米と比べて日本企業の生産性は低い。組織の融和を重視しすぎるあまり、根回しや上司のメンツを立てるといったことが生産性を下げている。夜遅くまで残って仕事をしている部下を高く評価する上司も多いとも聞く。生産性を上げるためのテレワークや在宅勤務では、管理職クラスで新しいスキルが求められるだろう。オフィスで働く社員が少なくなるなかで、どのように仕事ぶりを評価し、相談に応じたりするかといった技能が必要になる・・・
納得です。「古典的職場」である役所で勤務した人間にとっては、このような改革はお手本にしたいです。私は、残業をなくし、また働き方を柔軟にする際には、次の点などが課題になると思います。
一つは、職員評価です。残業時間や、職場での仕事への熱中度といった「投入量」で評価はできません。もちろん、上司へのごますりもです。「成果」で評価すべきなのですが、なかなか難しいことです。そのためには、職員への仕事の命じ方をはっきしりて、評価基準(何を達成したら合格とするか)を明確にして、部下を納得させなければなりません。すると、仕事を命じる上司の任務が重要になります。期末の評価でなく、事前の指示(目標と評価基準)と面談が、重要なのです。
もう一つは、職員の教育です。一般的な職場の技能は、本を読んだり、研修で学ぶことができます。しかし、その職場特有の「仕事の技術」たとえば「上得意さま」「よく接触のある相手(よい人も困った人も)」とのつきあい方(傾向と対策)などは、職場で上司や同僚の振る舞いを見ながら身につけることも多いです。在宅勤務やテレワークでは、この教育は難しいです。
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謝罪文化、パフォーマンス?
7月29日の朝日新聞オピニオン欄「それって不謹慎ですか」、マッド・アマノさんの発言から。
・・・日本には謝罪文化っていうのがある。企業が不祥事を起こすと、記者会見で幹部たちが雁首そろえて謝る、あれだよ。薬害事件で、突然、製薬会社の幹部数人が、一斉に額が床につくほど土下座した。これには本当に驚いた。
謝らないことには、世間が収まらない。「まず謝っちゃおう」というパフォーマンス、儀式だね。これで人々は留飲を下げるわけだ。でも謝ったからといって自らの責任を認めたわけではない。こんな目くらまし、僕は納得いかないよ。
こういう下地があるから「不謹慎だ」と批判されると、すぐ謝っちゃうんじゃないの。攻める方もおもしろがってやる。どちらも理詰めでは論争しない。これは日本人が最も不得意なんだ。
アメリカに10年ほど家族と住んでいたことがある。謝罪会見なんて一切、見たことない。とにかく交通事故でも謝ったらだめ、と友人からよく言われた・・・
・・・私ですか? 外では謝らないけどね、家では妻や息子にいつも謝っています。謝らないと収拾がつかなくなる。だから家庭の平和のためにね・・・
人手をかけるほど悪くなる文章、サラリーマンジャーナリストの限界
朝日新聞7月28日論壇時評、小熊英二さんの「メディアの萎縮 まずい報道、連帯で脱せ」から。落語の「目黒のサンマ」を紹介したあと。
・・・こんな話をするのは、昨今の報道に、これに通ずる傾向があるからだ。たしかに「間違い」はない。人手も予算もかけている。しかし「まずい」のだ。
ときどき、へたに人手や時間をかけるより、少人数で素早く作った方が、シャープな番組や記事ができることがある。「どこからも文句が出ないように」という姿勢でチェックを重ねたりすると、それこそ脂と骨を全部抜いたような報道になったりするからだ。この問題は、組織が大きくなると起こりやすい・・・
ええ、国会答弁案も、作成過程でたくさんの人の手が入ると、問題はないけれど何を言いたいのか分からない文章になります。
このあと、次のようなもっと重要な指摘が書かれています。
・・・大手の方が保身的だという傾向はもちろんある。だが国連人権理事会特別報告者として来日したデービッド・ケイは別の原因を指摘する。それは「連帯」と「独立」の欠如である。
ケイはいう。日本では「ジャーナリスト間での仲間意識が感じられません」。主要メディアは自社の特権を守るため、独立系メディアを記者クラブから排除している。そこにはジャーナリストどうしが連帯する仕組みがない。連帯意識がないから、ミスを犯すと、他の記者や他の新聞社から攻撃をあびる。彼らは連帯して権威と闘うよりも、それぞれが権威に頼ることを選びがちとなってしまう。
つまり連帯がないから、独立もできない。この傾向は、大手としての権威に頼っていたメディアの方が強いだろう・・・