ゴーン社長の人材育成講座、2

昨日の続きです。「危ない会社こそ好機だ」 (2016年3月9日)から。
・・・私もミドルマネジメントにいたことがある。極めて重要な経験だった。ミドルには上司、部下の中間にいる。リーダーの意思決定も知り、部下とともに現場も知る立場だ。やりがいのある仕事であり、いい経験になる。上司との関係で、嫌な思いをすることもあるだろうが、そのほうが勉強になることがある。
実はある上司は私を信頼してくれなかった。信頼してくれれば、もっと貢献できたのにと思った。しかし学ぶことも多かった・・・
・・・ミドルにとって危機の会社は素晴らしいチャンスだ。好調な会社だと違いを出せないが、苦しいからこそ、違いを生み出して、目立つことができる。だからこそ厳しい企業に入るべきだ。自分の力を示すチャンスだ。確かにリスクはあるが、そこでワクワクすべきだ・・・

・・・99年当時の日産は客観的な指標がなかった。信じがたいことだが、会社を示す指標がなかったわけだ。正確な従業員数を把握するのにすら2カ月もかかった。CFO(最高財務責任者)もいなかった。車種別の利益率など分からなかった。数字がないから何も見えない。唯一の手段は現場に行くしかなかった。
現在の日産は極めて健全な企業になった。車ごと、市場ごとで詳細な数値が分かっている。ただ、どのように従業員が思っているか、戦略を理解しているか、モチベーションはどうか、を知るためには現場に行く必要がある・・・
この言葉のとおり、現場に行ってみないとわからない、それもじっくり見ないとわからないものです。現場には、工事現場など仕事の現場・課題の状況と、職員の様子という組織・職場の雰囲気の、2つのものがあります。この項続く。

明るい公務員講座第29回

連載「明るい公務員講座」第29回、「職場の生き様(2)習慣は変えることができる」が発行されました。第2章自分を磨こう、4「人生に貴賤はある―生き様」の2回目です。連載ではこれまで、良い公務員になるための秘訣を書いてきましたが、いつもそのように進むとは限りません。病気やケガもあり、誘惑や落とし穴も待っています。その際に、どのように振る舞うか。そこで、あなたの器量が試されます。今回の内容は、次の通り。
誘惑に負けるな、病気とけが、出世しよう、鏡に映った自分を見る、習慣は変えることができる、仕事が顔を作る。
読者からは、「習慣は変えることができる」に同感である、との反応がありました。また、先日お会いしたある市長は、「全勝さん、あの連載読んでいますよ」「表題と今日の教訓を読むと、だいたいのことがわかりますね」とほめていただきました。

危機的状況の際の対応、ゴーン社長

日経新聞電子版「リーダーに戦略を聞く」、カルロス・ゴーン(日産社長)の発言「グローバル人材育成講座」(2016年3月8日)から。
・・・1999年の日産自動車は深刻な危機に陥っていた。危機的状況にあると、どのような優先順位でそこから脱却するかにある。10年後ではない。いま火事が起きている。どうやってこの状況をコントロールして脱出するかを考える。当時、どうやってこの火事を抑えるか、源はどこか、どうやって家を建て直すかを考えた。
15年後、20年後どうするかは考えていなかった。基本的な健全な会社に戻すこと。明確なビジョンはしっかりあったわけではない。本当に大丈夫か?ただ、それだけだ・・・危機的状況では明日を考えない。いまどうするか。その後、緊急事態がおわって、明日を思う・・・
東日本大震災直後に、その対応に当たったものとして、同感です。もちろん、漠然とした将来への見通しを持ちつつですが。

・・・スーパーマンは経営者にいない。マネジメントの重要なカギは学びのプロセス。学んで結果を出すことの繰り返しだ。成果をだせばパフォーマンスで評価される。リーダーは実績のみで評価される。無理だとおもわれる実績をだすと、すごい、優れているとの評価になる。
私にも弱点はある。説得力がないとか、間違った人選をしたなど、失敗は少なくない。優れたマネジャーは客観的に自分の中で、弱点を見極める人だ・・・
詳しくは、原文をお読みください。この項続く。

マナーの作り方、国民性の変化。エスカレーター

7月20日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」は、「エスカレーター片側空け出現」でした。1980年代から、急ぐ人のために、エスカレーターの片側を空けることがマナー(礼節)になりました。関西では左側を、関東では右側を空けるようです。私も「新地方自治入門」で、「現在作られつつある習慣」と紹介しました。しかし、最近では事故防止のためなどに、空けない=2列に並ぶことが推奨されています。興味深いのは、次のようなことです。
まず、そのマナーの導入に際し、「先進国を見習え」という手法が用いられたことです。
・・・1980年代の朝日新聞をめくってみると、ロンドンの地下鉄で見られる習慣の素晴らしさを絶賛し、翻って日本では…と嘆く記事がいくつも見つかる。
「日本の都市でのふしぎな光景は、すいているエスカレーターでもほとんどが歩かぬことだ。(中略)一種の『こっけいな日本風俗』の一つであろう」(83年11月28日付)
「片側一列に立って、急いで昇降する人たちのために、かたわらを空けておく、英国などでみられるマナーは日本でもまねたいもののひとつだ」(86年8月5日付夕刊)・・・
今読むと、新聞の論調、そしてそれを受け入れた国民性に、驚きます。今このような記事を書くと、どのような反響が返ってくるでしょうか。たった30年で、こんなに変わるのですね。もっとも、この手の手法は、形を変えて使われています。

作家の山本弘さんは、次のように語っています。
・・・日本人が昔から「マナーを守る礼儀正しい民族」だったかというとそんなことはありません。歴史の本で大きな事件はわかっても、細かいことは書かれていないのが普通ですから、誤解してしまうのかもしれません。社会が一種の記憶喪失になってしまっているともいえます。
交通にかかわるマナーでいうと、駅弁の食べかすやゴミを座席の下に突っ込んでおく、などというのは当たり前でした。現代の清潔な列車からは想像もできないでしょう。僕が子どもの頃にはまだ電車の乗り降りでも、降りる人と乗る人がぶつかり合って大混乱していました・・・

憲法改正の回数

7月25日の読売新聞政治面、井上武史・九州大学准教授のインタビュー「社会の変化 対応する憲法に」に、主要国の憲法改正要件と戦後の改正の回数が載っています。それによると、各国の憲法改正の回数は、次の通り。
韓国9回、アメリカ6回、カナダ19回、フランス27回、ドイツ60回、日本なし。
やはり、日本は特異ですね。この70年間、解釈改憲でつないだのか、改正すべきことがなかったのか、改正すべきことがあるのに放置しているのか。
いろいろな原因や背景があります。しかし「日本は、憲法を改正する必要はなかったんだ」と言い切れるでしょうか。私は、時代に合った憲法に改正すべきだと考えています。「憲法を守れ」と「必要な改正はする」は両立するはずです。マスコミが「革新勢力」と呼んだグループが、憲法改正に反対するという「ねじれ」あるいは「命名の間違い」も、あります。