昨日書いた、復興庁が「これまでが異例だった。普通の役所に戻ったということですよ」(2016年7月8日)について。
一つには、5年経って復興事業が軌道に乗り、当初の頃のような、次々とこれまでにないことをする役所ではなくなったことです。復興はまだ道半ばですが、大きな筋道は立っています。その路線に従って、役所らしく着実に事業を進めれば良いのです。もっとも、原発事故からの復旧は、状況が違います。
もう一つは、これまでにないことを次々としてきた復興庁と、私のやり方への評価です。「賛辞」と理解しましょう。私たちが取り組んでいるのは、千年に一度の大津波と、初めて経験する原発事故です。前例通りでは国民の期待にこたえることにはなりません。次々とこれまでにないことをしました。それは、新しい施策を作っただけでなく、その進め方についてもです。平時の流儀では時間がかかり、間に合わないのです。
それができたのは、国民や政治家が、巨大な災害で異例の対応が必要だと理解してくださったからです。各省の官僚たちも、これまでの延長ではダメだと考え、普段していない、そしてできないことに取り組んでくれたからです。
私は、関係者の前で旗を振り、後ろから押しただけです。時々、理解が少ない人たちをラッセル車のように強引にかき分け、押してもダメなときは自分で書いてしまうという、強引なこともやりましたが(苦笑)。
職員たちが、私のことを「霞が関の治外法権」と呼んでいます。物騒な表現ですが。「それは私の所管ではありません」と言わない、ほかの組織の所管業務と思われることでも口を出す、それらを象徴したニックネームです。
ある人は「霞が関だけでなく、永田町の治外法権だろう」とも言ってくださいました。与野党を問わず、政治家の方にも本音で議論する、そして政治の力を借りて実現することを、「褒めてくださって」いるのだと解釈しています。これまでにないことを実現するためには、知恵と技、そして力技も必要です。